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第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません
1.パウラ、召喚される
11年が過ぎた。
ひたすらに将来への備えに努めた年月で、正直なところ気の休まることのない張りつめた時間だった。
4人の聖使に会うためのイベントに同行してくれた父は、4公国を訪問して以降公子たちからの求愛がひきもきらないと警戒しているけど、当のパウラにはそんなことどうでも良い。
将来無事に実家へ返品されることができたなら、その時には見合い写真でも釣書でもありがたく拝見しよう。とりあえず今は良い。
ほんとに前世の自分は、まるでなにも考えていなかったのだと最近よく思う。
ヘルムダールの女子だから黄金竜の花嫁に選ばれるのは当然で、それが竜后か竜妃聖女オーディアナかなど、そんなに問題だとは思っていなかったのだ。なんとめでたい。お気楽なお花畑脳だったんだろう。
竜后と竜妃では天と地ほども違うのに。
后は正妻で正真正銘の妻だけど、妃は早い話がお妾さんだ。公式な身分を与えられたお妾さん、しかも夫のお渡りはない。真っ白、純白の結婚だ。
前世も今も、愛だとか恋だとかそんな感情には縁遠いタチだとは自覚がある。だから前世、真っ白の結婚だと説明されても特に何も感じなかった。でもそれはあっさり納得して良いことではなかったと、数千年かけて思い知る。
誰かを好きにならないのとなれないのでは、大違いだった。
パウラの貞操はパウラを一ミリも愛していない夫に、ぎっちぎちに縛り上げられていたんだから。
だから奇跡的に得たこの二度目の人生では、自由を手放すことだけはしたくない。
11年、そう思って生きてきた。
そして……。ついに来た。
パウラ十七歳の春。
黄金竜の泉地からの召喚状が、ついに来た。
「姫様が竜妃聖女オーディアナに。これでヘルムダールには、ますますの平穏な日々がつづきましょう」
まわりの人々は皆喜んで、口々に祝いの言葉を述べた。
いや、今回はもう一人聖紋持ちがいるから、まだ決定ではないんだけど。
そう言うと、彼らは皆一様に首を振る。
「ヘルムダール直系の姫様に、誰がかなうでしょう。姫様が選ばれるのは、決まったようなものです」
それでは困るのだと思うが、口には出さないで曖昧に微笑んだ。
周りがみなこうしてお祝いムードなので、表立っては本音が言いにくいと、人払いをした上で両親に挨拶の時間をとってもらった。
父は母の執務室に防音の結界を張る。完全に遮音されているのを確認すると、さっそく父はその端正な顔を不機嫌に歪めて、声を尖らせた。
「あのクサレ竜が。わたしのパウラを側室にだって!」
父がこうも負の感情をあらわにするのも珍しい。その長い指先で、イライラとローテーブルのふちを叩いている。
「竜后がいるんだから、もう他の姫は要らないだろう。わたしのアデラだって、大公の仕事をしているんだ。竜后が働けばいいだけじゃないか」
竜は1人の妻のみを愛して、他には一切目もくれない。そういう性なのだと言う。その竜の長、黄金竜オーディが側室などありえない。
側室たる竜妃が名のみの妃、寵愛など望めないことは、竜ならば誰でもわかることだ。
水竜ヴァースキーの血を継ぐ父テオドールには、我が娘が粗末に扱われることなど許しがたいようだ。
表立って黄金竜を非難することはしないでいるが、こうして防音結界を厳重に張った上、家族だけの話ともなれば、言葉をとりつくろうこともしなくなる。
竜族の長黄金竜を、クサレ竜呼ばわりだ。
これは前世にはなかったことだ。
前世の父は、あまりパウラに関わらなかった。だから召喚の知らせがあった後も、特にこうした話を家族でした憶えがない。
六歳からやり直したことで、「過去」が変わってきたのだろうか。
「今回は、うちの地方領の娘も一緒だそうだね。わたしのパウラと競おうなどと身の程知らずも良いところだけれど、今回だけは都合が良いよ。その娘にまかせて、パウラはさっさと戻ってくると良い」
外に漏れたら大変な、かなり物騒なことを言う。
この父にとって、妻アデラと娘のパウラに勝るものはないのだと、今更ながらよくわかる。比較対象がたとえ黄金竜であっても、変わらない。
「ヴァースキーの甥がね、どんな良い縁談にも首を縦に振らないのだそうだよ。どうも心に秘めた姫君がいるようだと、兄がこぼしていたよ。ヴァースキーの跡継ぎを降りたいとダダをこねているらしい」
無理やり側室にされるくらいなら、まだ兄の息子にやった方が良いとあからさまだ。
父の甥、ヴァースキーのリューカス公子とは何度か会っている。
悪い印象はない。パウラよりたしか2つばかり年上だったと思う。
最後に会ったのは、彼がヘルムダールの祭典に来訪した時だったから、もう3年前になる。
肩で切りそろえられたまっすぐの髪はヴァースキーらしい青銀で、その瞳は透き通るようにきれいな緑色。
背の高い美しい青年だったように、記憶している。
「今はそう言ってるけど」
ここまで黙っていた母が、笑いをかみ殺しながら口を開いた。
「本当にリューカス公子が求婚してきたら、追い返してしまうだろうね」
そうかも……。映像が見えるようだ。
ゆらゆらと憤怒のオーラをまとった父が、ヴァースキーの使節をたたき出す様。
「パウラはヘルムダールの女子なのだから、今回のこれは断れる筋の話ではない。けれどね。行ってみて、ダメだと向こうが言ってくれるなら。その時は笑顔でお礼を言ってね、さっさと帰ってくると良い」
いつもより贅沢なコーヒーを口にしながら、母は嫣然と微笑む。
父より怖い。
さっさと帰っておいでとは、黄金竜の泉地にケンカを売りつける勢いだ。
胸にじわりと、温かい熱がたまる。
「ありがとうございます。お母様、お父様」
「いいね? 本当に帰ってくるんだよ。わたしたちのパウラが、黄金竜の泉地などで朽ち果てて良いはずがないよ。なんならリューカス公子を、こちらへいただいても良いんだからね。ヴァースキーの跡継ぎだから簡単ではないだろうが、きっとなんとかしてあげる」
その母の隣で父はうぅと低く唸る。そしてがばりとパウラを抱きしめて、叫ぶように言った。
「こんなかわいいのに、妾奉公だなんて冗談じゃない。ああ、わたしにもっと力があったら……。ごめんね、パウラ。ホントにごめん」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて苦しい。それでもパウラは嬉しかった。
どれほど気分が楽になったことか。
もとより実家返品は望むところだったけど、両親をだましているようでどこか後ろめたかった。
ヘルムダールの血を継ぐ女子として、立派に竜妃聖女オーディアナの任に就き全うすることを両親は望んでいるのだと思っていたから。
後ろめたさから自由になって、今やパウラに怖いものはない。
(ええ、もちろん。頑張って実家へ返品されてみせますわ!)
頑張る方向が前世とまるで違うのだが、今回の方がよりハードルが高いとパウラは知っている。
恋愛偏差値35のパウラが、70越えの難関に挑もうというのだ。
けれど劣等生は劣等生なりに、できうる限りの努力はしてきた。
後は実戦で勝負。
覚悟を決めて、もう一度お礼を言った。
「ありがとうございます。お母様、お父様の娘として、恥じることのないように頑張りますわ」
黄金竜の泉地へ続く路を開いてもらうその日。
神殿の転送の間で、母と父、それにナナミの他に数名の神官が、パウラを見送った。
「それでは行ってまいります」
短くそれだけ言うと、銀の光の粒子がパウラを包む。
ぱぁっとかすむ辺りの景色の中。
「身体にだけは気をつけるんだよ」
ありふれた、だからこそ心のこもった言葉がふんわりと溶けていった。
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