第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません

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2.エリーヌ、思い出す(SIDE エリーヌ)   エリーヌ・ペローは、ヘルムダールの中原地方の端にある、小さな荘園の領主の娘として生まれた。  ペロー家の始まりは、ヘルムダール公家に珍しく2番目の姫君が生まれて、その姫が興したものだとか。  ほんとかしらと、エリーヌは思っていた。嬉しいが半分、不満が半分で。  ヘルムダール公家といえば、5公家筆頭の大公家で、黄金竜(オーディ)にもっとも近い血筋だ。その高貴な血が自分にも流れていると思うと、誇らしく嬉しい。でも直系の公女なら、大公家でお姫様らしい贅沢な暮らしができるし、黄金竜の泉地(エル・アディ)やよその公国のお城に招かれたりして、外見も中身もとびきりの公子様と結婚できるのに。  傍系も傍系、血もかなり薄くなった遠縁のエリーヌでは、そうはいかない。 (不公平だわ。わたしだって直系の公女様に負けてないのに)  ふわふわした白銀の髪に、ミントをソーダで溶かしたみたいだと言われる明るい緑の瞳。ふっくらとした頬は、まるで瑞々しい桃みたいだし、唇だってぷるんぷるんでかわいらしい。  なかなか見ない美少女だと、みんな言うし自分でもそう思う。  それなのに今のエリーヌの暮らしときたら。平民より少しだけマシという程度じゃないかと思う。  朝起きたら廊下の突き当りにある洗面所へ行って、顔を洗う。水道の引いてある洗面所が屋内にあるのは、この辺りでもペロー家だけだと母は自慢しているが、小さな白い洗面器の上に蛇口から冷たい水が出るだけで、これがそんなに贅沢なものだとはどうしても思えない。  その後自分で髪をとかして、階下の食堂へ降りる。  朝食はいつも同じで変わり映えしない。山羊や牛の乳と焼いたパンにチーズ、運が良ければ茹でたたまごやソーセージがつく。  近所の農家から朝晩手伝いにきてくれる女性は、エリーヌが赤ん坊のころからの通いのお手伝いさんで、食事の世話の他掃除や洗濯をしてくれていた。その彼女に見送られて学校へ行く。近隣の、まあそこそこお金持ちの子女の通う私立の学園で、エリーヌの成績は下から数えた方が早い。  午後学校から帰ると、家庭教師から淑女教育を2時間受ける。その後彼女の厳しい監視下で食事をする。いちいち作法を正されて、食べた気がしない。  この淑女教育でも、エリーヌの成績はあまり良いものではなかった。  勉強なんて、少しも役には立たない。女は綺麗でかわいらしいのが一番で、優劣は学業ではなくそこで決まるのだ。  学園でもエリーヌは、男の子たちにいつも囲まれている。成績が悪くても、お作法を心得ていなくとも、そんなことは誰も気にしていない。 「女の子はね、美しい、かわいらしいおばかさんが1番よ」  母の言うとおりだと思う。  ペロー家は、一応爵位を持つ貴族の端くれだ。最初の当主であった姫君は侯爵だったらしいけど、今は男爵だった。  長い間に何があったかなど興味もなかったから調べようともしなかったけど、ここヘルムダールではどちらの爵位でも大した違いはない。  領主とは言っても名ばかりで、領地から上がる租税などひとたび天災にみまわれたら、たちまち吹っ飛んでむしろ地面に食い込むほど足りない。  それは大公家以外の、どんな爵位の家でも似たようなものらしい。  落ちた橋の架け替えや道路の復旧、がれきの後始末等々。いざという時のためにと、領主はいつも質素な生活をしていた。だから領民は自主的に自治会積立金なるものを作り、天災やまとまった金額の必要な事態には、領主とともに物資や金銭を供出しているような有様だ。  それでもペロー家は、やりての母のおかげで近隣領主に比べると、まだマシな方だと人から聞いた。  母はぱっと人目を引く華やかな美人だ。  ペロー家の資産を潤沢にしようと、あまり大きな声ではいえない事業にまで手を出すような人で、血も涙もない女傑として名が通っている。  それでもそのおかげでエリーヌは貴族令嬢として最低限の教育を受けることはできたし、社交の場に出て恥ずかしくない身だしなみを調えることもできた。  父はいない。ものごころついた時には、既にいなかったと思う。  母に尋ねると、「いるわよ。当たり前じゃない」と短い不機嫌な返事があって、そこから先はとても聞ける空気ではなかった。  ヘルムダールでは女性が当主に立つのは当然のことで、母がペロー家を継いだから父は婿としてこの家に入ってきたという。肖像画もあるし、父の部屋は毎日掃除されているようだったので、亡くなったわけではないようだ。  どうやら隣の領主のところにいるらしいと、風の噂で聞いた。  ああきっと、母はでき過ぎたのだ。  綺麗なだけなら良かったけど、でき過ぎたから父は出て行ったのだと思った。  美しい、かわいらしいおばかさんじゃなかったから。  エリーヌは悔しかった。  皆が当たり前に持っている両親を、自分は持てない。  母が恨めしかった。  自分はけして母のようにはなりたくない。エリーヌだけを溺れるほど愛してくれる男に、一生(かしず)かれて暮らすのだ。  ヘルムダール大公夫妻には、エリーヌと同じ年齢の娘がいるらしい。  大公夫妻は美男美女でこれ以上ないくらい夫婦仲が良く、その間にできた娘を溺愛していると。  エリーヌは、なんだか腹が立った。  同じヘルムダールの血を継ぎながら、直系公女だけは両親に愛されて、騎士や侍女にかしずかれ大きなお城で贅沢三昧しているに違いない。  不公平だわ。  毎日毎日そう思い暮らしていた。  ある晩、夢をみた。  不思議な、不思議な夢。  目が覚めて、知った。いや思い出した。  エリーヌの前世の記憶を。
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