第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません

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3.エリーヌ、ヒロインに喜ぶ(SIDE エリーヌ)  そこはまるで見知らぬ場所だった。高い建物が立ち並んだ異世界。  一人で暮らしていた。  その世界のエリーヌは、黒髪に黒い瞳をしていた。ちんまりとまるい鼻にのっぺりとした凹凸のない顔、お世辞にも美人とは言えない。  縁の欠けた安物の鏡に映った自分の顔を見て驚いた瞬間、エリーヌはそこでのすべてを思い出した。  専門学校を卒業した後、最初に就職したデパートでは食料品売り場に立っていたが、25才を過ぎた頃退職した。  次の就職先は通信販売の受注部門のコールセンタで、朝から晩までヘッドセットをつけて電話の対応をする仕事だった。隣席の声が邪魔にならないようにパーティションで仕切られて、受付台のランプが光ると同時に飛び込む電話に喉をからしながら愛想良い声を絞り出す。  待ちのコール数が多い時には、対応完了直後に飛び込む電話が延々と続き、食事はおろかトイレにすら行けないこともあった。なにより聴覚だけで相手の機嫌を推し量るのは、案外神経を使う。帰宅したらもうぐったりで、家のことどころではない。  部屋干しの洗濯ものがぶらさがる1DKは、狭くて薄暗く所帯じみていて情けない気分になる。  崩れるように合板の床に座り込んで、大きなため息をつく毎日だった。  そんな生活の中で唯一の楽しみは、どっぷりでろでろに甘い乙女ゲームだ。  夢の世界には美しい王子様や名門貴族の若君、騎士や魔術師がごろごろといて、皆がヒロインにあふれんばかりの愛を注いでくれる。  仕事帰りのコンビニで買ったおにぎり片手に、ひたすらにプレイする。新しいゲームが出るやすぐに飛びついて、睡眠時間をどのくらい削ったことだろう。  そのゲームの中の1つ。 「エルアディのドラゴンたち」  通称エルドラ。  黄金竜オーディの聖女になるための試験を、ヒロインとライバルの悪役令嬢が受けることになる。召し上げられた黄金竜の泉地(エル・アディ)には、竜の血を継ぐ4人の聖使がいて、それぞれとびきりの美青年。  水竜の聖使シモン、火竜の聖使セスラン、風竜の聖使オリヴェル、地竜の聖使アルヴィド。  この4人と恋をして黄金竜の泉地(エル・アディ)に残るというのが、正統派エンディングである。  人気イラストレーターが起こしたキャラクターたちのスチルの美麗さ、そしてキャラクターヴォイスをあてた声優の、腰にくる声がウリの名作ゲームだ。  そしてそのヒロインの名は、エリーヌ・ペロー。 「え? わたし?」  目覚めたエリーヌは、どうやらエルドラの世界に転生したらしいと気づく。  まず驚いた。  そんなことあるはずないと、なけなしの理性で抗ってみる。けれど夢にしては、あまりにもリアルで詳細な内容ばかりだった。そこで半信半疑ながら、この世界が本当にゲームのとおりの構成なのかを調べた。  国名、大公家名、そして何より現在の聖使の名前。  そして本当に、本当に、ゲームのとおりの世界だと知る。  狂喜した。  だってヒロインだ。  4人の聖使にもてまくり、愛されまくりのヒロインエリーヌ。  この世は彼女のためだけにある、その女主人公(ヒロイン)。  その時エリーヌは、十四歳。  十七歳の誕生日までに彼女には聖紋(オディラ)が現れて、黄金竜の泉地(エル・アディ)に召し上げられるはず。  そこで待つのは、とびきりの美青年との甘い恋。  4人が4人とも最初からエリーヌに好意的で、選択肢さえ間違えなければ溺愛ルートへ進む。  あのゲームには、試練の儀と呼ばれる聖女選抜試験があるが、こんなものにまともに関わってはいけない。  さまざまな地域の地理や産業、経済、歴史、芸術、思想、それに異種族の風習や文化、言語もろもろを学習し、現地で実践課題をクリアする。  まともに頑張れば、レベルが上がってゲームの中での行動可能時間が増える仕組みだ。  けれどこれを頑張り過ぎればどんどん聖女としての資質が上がり、早々に竜妃聖女オーディアナに選ばれてしまう。  聖女エンディングなど、もっての外だ。  黄金竜の花嫁竜妃聖女オーディアナになるということは、4人の聖使の誰とも恋人エンディングが迎えられなかったということで、花嫁とは名ばかりの「一生手つかず綺麗なままの処女(おとめ)ルート」決定なのだ。ゲームならリセットすれば良いけれど、リアルでリセットが効くかはわからない。攻略対象の執務室へ日参し、「おしゃべり」コマンドでご機嫌伺いするのが賢いプレイ方法だった。  幸いなことに、ヒロインのライバルである悪役令嬢は、くそ真面目に学習コマンドを連打してくれる。聖使の好感度がエリーヌの思いどおりに上がることから考えると、ライバルは特に好感度アップの行動はとっていないようだ。 (たしかパウラ・ヘルムダール)  銀色の長い髪にエメラルドの瞳をした切れ長の目の美少女で、いかにも大貴族のご令嬢らしい高慢ちきな女。  悪役令嬢がヘルムダールの直系公女であるのは、意地悪く痛快な思いがある。  くそ真面目な女で、選ばれた者にはその責任を果たす義務があるだの、責任を果たすための努力が必要だのと、きれいごとを真正面から信じて試験課題に取り組んでくれる。確かにきれいな女だったが、ツンツンと感じの悪い女でモテようもないから、悪役令嬢としてはチョロすぎる。だから何度プレイしても、エリーヌの邪魔にはならなかった。  一生手つかず綺麗なままの処女(おとめ)ルートは、あの女に任せておけば良い。  前世でのエリーヌの推しは、セスランだった。燃えるような赤い髪の、いかにも名門の出らしい貴公子然とした美貌。  親しくなるまでは冷たいもの言いしかしない彼が、好感度アップにつれてだんだんにデレてくる。好感度マックスになると、驚くほど甘い言葉で迫ってくれるのだ。  リアルであれを体験できるなんて!  さあ、忙しくなってきた。思い出せる選択肢は、すべて思い出さなければ。  あのゲームシステムでは、同時攻略は2名が限界のようだった。  セーブデータがあれば、リセットが効くのだけれど……。  万が一セスランがだめだった時のために、もう一人保険をかけておきたいところ。  攻略のチョロさで言えば、アルヴィドかと思う。  愛を知らない彼の過去、育ってきた環境によるその寂しさに寄り添う答えを返せば、びっくりするほど簡単に好感度が上がる。  4人のうち2人を選ぶとなれば、セスランとアルヴィドだろう。  学校用に買ったノートは、ほとんどまっさらなままで残っている。  その1冊を取り出して、鉛筆を走らせた。  これまでで一番集中した、真面目な顔をして。
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