第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません

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4.パウラ、悪役令嬢と呼ばれる  ふわふわの白銀の髪に、好奇心いっぱいの元気な緑の瞳。  エリーヌ・ペローだ。  前世の記憶どおりのヴィジュアルに、胸が悪い。  黄金竜の泉地(エル・アディ)、その神殿奥の間にパウラと共に並んで跪く。  これもまた前世の記憶どおり、当代の聖女オーディアナから試験開始を告げられる場面だ。  正直なところ、会いたくはなかった。  無邪気を装うエリーヌが、パウラにだけ見せる底意地の悪い目つき、聖使に見せるべたべたした態度。あんな下卑たものを、好んで見たいはずもない。  けれど逃げるわけにはゆかない。逃げれば即刻、飼殺しルート決定だ。 (平常心だわ、パウラ・ヘルムダール)  2度目の今生、彼女のやり口の稚拙さ陰険さは、既にパウラの知るところ。それなら前もって、事が起こる前に手を打ってやる。 「ヘルムダールの女子二人、パウラとエリーヌだったな。この世の平穏を護るため、両名のうちどちらかが聖女オーディアナに選ばれる。悔いのないよう、最善を尽くせ」  当代の聖女オーディアナが、つま先まですっぽり覆ったヴェールの向こうから微笑する。 「かしこまりました。非才の身ではございますが、微力を尽くしてまいります」 「わたしも頑張ります! パウラとも仲良くします! 安心してください!」  無駄に元気な場違いな声も、前世のとおりだ。  ここでパウラを呼び捨てにすることで、パウラの神経を逆撫でするつもりだろう。  前世パウラは、その策略にまんまと乗った。 「わたくしは貴方に名前を、しかも呼び捨てで呼ぶことを許した覚えはありませんわ。ペロー様」  その後、エリーヌは泣きべそをかくのだ。 「だってここでは一緒に試験を競うライバルで、お友達なんでしょう? この方が、早く仲良くなれると思ったから」  腹立たしい記憶のヴィジョンを振り払い、パウラは心中で唱える。 (心頭滅却すれば火もまた涼し)  ナナミに教わった呪文の言葉。動揺したら負けなのだ。  ぎりぎりと奥歯を噛み締めて、パウラは無表情を守った。  けして挑発にはのらない。沈黙を守ることで、パウラ呼びを拒む。 「エリーヌ・ペロー」  凍てつくような低い声が響いた。  ちらと視線だけでその主を探すと、燃えるような見事な赤毛の青年が、跪くエリーヌを睥睨(へいげい)していた。 「なぜパウラ・ヘルムダールを呼び捨てにする?」 「え? セスラン様、なんでそんなこと聞くんですか?」  明らかに動揺した様子のエリーヌは、信じられないと大きな目を見開いている。 「パウラを呼び捨てにできるのは、おまえが聖女になり、パウラがそうならなかった時だけだ。今のおまえは、ヘルムダールの男爵令嬢に過ぎない。公女を呼び捨てにする特権など、誰も与えてはいない」  ぴしりと空気に亀裂が入る音を、聞いたような気がした。峻烈な口調で、セスランはさらに追い打ちをかける。 「いまだ候補に過ぎぬ身。しかと心得よ」 「セスラン様、どうして?」  震えながら見上げるエリーヌに、セスランは冷たい表情をちらとも動かさない。 「私の名を呼ぶか。初級の礼儀作法も学んではこなかったと見える」  大きくうねった見事な赤毛をふぁさりと揺らして、セスランは聖女オーディアナの前に優雅に跪く。 「ごらんのとおりです、聖女オーディアナ。エリーヌ・ペローには基礎教養の科目追加を進言いたします」  顔色を失くしたエリーヌが「なんで、どうして」とつぶやいているのに、パウラは違和感を覚えた。まるでこんなことは起こるはずはなかったと、知っているように見えたからだ。 (まさか……。まさかエリーヌも二度目なの?)  薄いヴェールの向こうで、聖女オーディアナの視線がエリーヌに向けられる。  少しの間があって、聖女オーディアナは頷いた。   「わかった。()きようにせよ」  後は任せるとセスランに言い置いて、聖女オーディアナは退出した。それにカツカツと複数の足音が続いた。  しんと静まり返った謁見の間。跪いたまま動けないでいるパウラは、いまだ混乱の中にいる。  なんで、どうしてとはエリーヌが先ほどからずっとぶつぶつ唱えている言葉だが、そう思うのはパウラも同じだ。  いったい何が起こっているのだろう。前世のこの場面とあまりにも違う。  セスランがパウラをかばってエリーヌをとがめたことも、他の三人、シモンやオリヴェル、アルヴィドが黙ってそれを見ていたことも、まるで前世とは違う。 「パウラ」    まるで封を切ったばかりのブランデーのような声が響く。甘く香り高く酔うようだ。  誰の声かと考えるまでもない。  この艶のあるやわらかいテノールは、9年前の記憶にあった。  跪いたままの姿勢で顔を上げて、パウラは息を飲んだ。  すぐ傍、息のかかるほど間近で、最高級の翡翠の瞳が愛しげに優しく微笑んでいたから。 「待ちかねたぞ、パウラ」  甘い甘いテノールの響き。つい先ほどまでエリーヌに向けていた、氷のような冷たさは微塵もない。同じ男の声とは信じられないほどだ。 (9年前より威力がすごいわ)  圧倒されて後ずさりたい思いのパウラに、セスランはさらに追い打ちをかける。 「ああ、膝を傷めてしまうぞ。早く立て」  一大事だといわんばかりに悲壮な表情(かお)をして、パウラの両手をとって立ち上がらせてくれる。 「あ……ありがとうございます。聖使様」  セスラン呼びを許されたのは、もう9年も前のことだ。それに今は聖女オーディアナ候補として召喚された身、聖使に対する礼節は守らなくてはならない。現についさっき、エリーヌが厳しく注意されていた。  それなのにセスランは途端に不機嫌になった。美しい白い眉間に皺を寄せて、ゆるく首を振る。 「セスラン。そう呼ぶように言ったはずだ」  9年前の許しは、今も有効らしい。  なぜ?  どうしてこんなにセスランは優しいのだろう。いや、優しいどころではない。甘い。前世一度も見たことがないほど、甘いのだ。  思えば9年前、当時まだ八歳の少女であったパウラにもとても優しかった。それがさらにパワーアップしている。  けれど今、その甘さ全開は困る。  今、ここにはエリーヌもいるのだ。これではあからさま過ぎるエコひいきではないか。 「なんでよ。こんなのおかしい」  やはりだ。  すぐ傍で、おそろしく低い恨みのこもった声がした。  ギンと音のしそうな視線を感じるが、パウラはあえて振り向くことをしなかった。  関わるべきではない。ここでエリーヌに関わって面倒なことになるのは困る。   「悪役令嬢のくせに」  向けられた負の感情よりも、その言葉がひっかかった。 (悪役令嬢?)  前世には聞いたことのない言葉だ。エリーヌはいろいろと、パウラに侮辱的な言葉を向けてきたが、「悪役令嬢」とは言われた憶えがない。  けれどひとつだけはっきりしたことがある。  なぜだかわからないけど、この時点で既に敵意を向けられていることだけは確かだった。
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