第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません

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5.パウラ、敵に塩を送る  座学メインで始まる最初の一月(ひとつき)の内容は、パウラには2度目のものだった。だから懐かしくはあるけれど、特に難しくはない。  各大陸の歴史と文化、それに地理と政治経済。一番時間を費やしたのは、歴史だった。思想史、外交史、文化史まで含めると、相当な分量になる。  これを一月(ひとつき)でというのだから、前世のパウラはかなり苦労したものだ。おかげで今生は、楽に過ごせたが。  それらに加えて時間をとられるのは、統治魔法と呼ばれるものだった。  水・火・風・地の属性の上位に光と闇の属性があり、その属性はヘルムダールの聖紋(オディラ)持ちの女子にだけ現れる。  光は癒しと平和を闇は破壊や滅びを、それぞれ制御する力のことだ。  調和のとれた世の実現にはなくてはならない力だが、制御には心身ともにかなりの鍛錬が必要で、つまりかなりしんどい。  その希少で大切な同時に危うい力を、次代の聖女オーディアナ候補は習得していかなければならないのだ。 「今日はここまでにしよう」  当代の聖女オーディアナが、1時間の実技指導の後、授業の終了を告げた。  統治魔法だけは他の者が教えることのできない科目だから、毎日座学30分と実技1時間、聖女オーディアナが自ら指導についている。 「ご指導に感謝いたします」 「ありがとうございました!」  ここでも無駄に元気なエリーヌに、聖女オーディアナは輝くような銀色の頭を緩く振って小さくため息をついた。 「エリーヌ、補講の進捗はどうか?」 「はい! 先生にはいろいろと言われますが、大丈夫です! わたし、気にしてません!」 「気にせよとは言わぬが、努力せよ。ここに来たのは次代の聖女オーディアナになるためだ。その責任の重さを理解するように」  穏やかな口調ではあったけどかなりはっきり(さと)されて、エリーヌはさすがにうつむいて唇をかんだ。 「は……い」  ここのところエリーヌは聖使の部屋へ日参しては、進捗報告と称する「おしゃべり」を続けているらしい。  4人の聖使はそれについて何かしらのコメントを出すことはなかったが、聖使付きの神官から好ましくはない話として漏れ出ていた。  エリーヌの成績は相変わらず惨憺(さんたん)たる有様で、今日もそれをわが目で確認した聖女オーディアナが釘をさしたものだろう。 (正論でまともに注意しても無駄よ。聖女オーディアナになるために、彼女はここに来たわけではないんですもの)  目の前でうつむくエリーヌを冷めた視線を向けて、パウラは思案する。 (けれどこのままでは困るわ。なんとかして最低限のレベルにまでは、上がってもらわないと)  エリーヌの資質がまるでお話にならないレベルのままでは、最初から勝負にならない。前世と同じように、さっさとパウラの優勢勝ちの判定が出てしまう。  それでは困る。とても困る。  いったいどうしたものかと考えて、ひらめいた。  エリーヌの目的は何か。  その目的のために役立つと思わせることができれば、勉強するに違いない。  午後の授業が終わったら、早速動くことにしよう。  心の中で右手をぎゅっと握りしめて、パウラは退出してゆく聖女オーディアナを、静かに見送った。 「私にエリーヌを応援しろと言うのか?」  南の聖使セスランの部屋。暗紅色と重めの木調で整えられた調度は、火竜を意識したものかと思う。  贅沢な天鵞絨張りのソファに浅く腰をかけたパウラは、対面するセスランの表情に内心で冷や汗をだらだらと流す。  きめの細かい陶器のような肌にすっきりと通った鼻梁、切れ長の翡翠の瞳。9年前と少しも変わらない白皙の美貌だ。その彼にじっと見つめられれば何もなくともくらくらするだろうに、まして今は心にかなり後ろめたい思惑があるのだから、とても冷静ではいられない。  自然に目を伏せてしまう。 「はい。そのようにお願いいたしました」 「わかった」    あっさりとセスランは頷いてくれた。理由もきかない。  言い訳をいくつも用意していたパウラは、拍子抜けした気分だ。  ふっと、息だけの笑いをセスランは漏らす。 「どうした? 不満か?」  からかうような口調が新鮮だった。謹厳で格式を重んじる貴公子然としたセスランは、くだけた様子など見せないと思っていたから。 「パウラの願いなら叶えよう。そう言ったはずだ。まさか忘れたのか?」  9年前の記憶が蘇る。これ以上ないほど鮮明に。  確かに言っていた。   「パウラの頼みなら、どんなことでもかなえよう」  火竜の祭典で会ったあの夜、セスランは内容も聞かずパウラの願いをかなえると答えてくれた。  熱っぽい甘い色をのせた翡翠の瞳の艶めきも一緒に思い出すと、心臓がばくばくと煩く騒ぎだす。 「お……おぼえております」 「ならば良い。忘れているなら、思い出させてやろうと思ったところだ」  そう言って薄く微笑んだセスランはとても綺麗だったけれど、翡翠の瞳はなんだか凍るようで、つまりとても怖い。 「他の者にはもう言ったのか?」 「いえ、これからお願いに上がろうかと思っておりました」 「それは私に任せよ」  かぶせるように遮られた。 「パウラが出向くことはない」  白い眉間に、くっきり縦皺が刻まれている。  願いをかなえてやるとは言ってくれたけど、やっぱり手間をかけることには違いない。この上他の聖使への依頼までお願いするのでは、図々しすぎる。 「わたくしがお願いしたことですわ。これ以上のご迷惑は」 「わからぬ姫だ」  てろりと甘い響きのテノールが、パウラを姫と呼ぶ。   「私が嫌だと言っている。パウラが他の男のもとへ行き、そこでそやつに願い事をするなどと。考えるだけで腹が立つ」  嫌われてはいない。それは間違いない。セスランはパウラを憎からず思っている。  けれどそう思われる理由に、まるで心当たりがない。  多分エリーヌよりはマシと、その程度じゃないかと思うけれど。  それにしてもセスランは、こんな男だったろうか。  これではまるで、パウラを独り占めしたいと言っているようだ。  いやいや、思い上がってはいけない。  前世あっさりとエリーヌを選んだセスランだ。前世パウラに見せていない顔を持っていても不思議ではない。  こういう誤解されるような甘い言葉を口にする、案外そういう男なのかもしれない。 「それではお言葉に甘えさせていただきます」  控えめな微笑でそう応えると、翡翠の瞳の表情が和らいだ。  それを確認して、パウラは席を立つ。  このタイミングを外さず、撤退せねば。  ほうほうの態とはまさにこのこと。  よろけるようにして、パウラはセスランの部屋を退出した。
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