第2章 誰かが決めた筋書きに従う気はありません

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7.パウラ、敵の正体を知る  試練の儀が始まって最初のひと月が過ぎた頃、パウラが願い出ていたナナミとの面会が許可された。  試練の儀期間中の面会は特に禁止されていないが、手続きが非常に面倒で許可されるまでに要する時間も長い。  前世のパウラは誰かと会いたいなどと思わなかったから、面会申請は一度も出さなかった。  けれど今回は違う。六歳の時から続けた柔術の稽古をここ黄金竜の泉地(エル・アディ)でも続けていると、無性に師匠のナナミが懐かしくなる。  こんなに誰かを恋しく思うのは予想外だった。  いくら時間がかかるといってもひと月あれば足りるだろうと、黄金竜の泉地(エル・アディ)へ上がってすぐに、月に1度の面会をまとめて申請しておいた。  久しぶりに師匠に会えるのは、嬉しい。浮きたつ思いで、神殿の転移の間へ急ぐ。ヘルムダールから黄金竜の泉地(エル・アディ)へ来る時に、パウラも使った場所だ。  白無地の神官服を着た青年が、金色の魔法陣の上で詠唱を始めると、辺りの空気がゆらりと歪んだ。  ぼうっと靄がかかり、それがだんだんに薄れ、次第に立体的な形と色彩が浮かぶ。  そして。 「姫様」  懐かしい声がパウラを呼んだ。  時を惜しむように、パウラは早速稽古に入ってもらう。  黄金竜の泉地(エル・アディ)付き騎士の訓練用施設を、今日一日だけ借りている。硬めのマットを広げて、特設の道場を作った。  師匠に背中を押されながらの柔軟体操は、ひと月ぶりだ。気持ちよく伸びる脚裏や腰の筋を感じながら、大きく開脚して胸と頭をマットに沈めた。 「先生、ひとつ伺いたいことがあります」  背中を押してもらいながら、ここのところずっとひっかかっている疑問を口にする。 「先生は、『悪役令嬢』という言葉を聞いたことがおありですか」  憎々し気に、エリーヌがパウラにぶつけた言葉だった。悪役令嬢というからには、悪役の貴族令嬢ということなのだろうが、どうもそれだけではないような気がする。 「悪役令嬢……ですか。それをどこでお聞きになったのでしょう?」  ナナミの手が止まった。思い当たることがあるような、そんな間があった。 「もう一人の候補、エリーヌ・ペローが、わたくしをそう呼びました。『悪役令嬢のくせに!』それはもう憎らしそうに」 「そう……ですか。これはあまりにもばかばかしくて、わたくし自身も簡単に信じられないことなのですが」  言おうかどうしようかと、さんざんためらったようだ。少しして、ナナミは重い口を開いた。 「わたくしが以前いた世界の話なのですが。年頃の女子が好むものには、こちらと同じような小説と、それによく似たゲームがありました。今はどうなのかわかりませんが、『悪役令嬢』とか『婚約破棄』は流行のストーリーだったと記憶しています」 「ゲーム?」  小説はわかる。物語のことだ。それならパウラも読んだことくらいある。けれどゲームにストーリーという言葉が、すぐには結び付かなかった。  ゲームとはカードゲームかチェスのような盤を使うものしか知らない。 「はい。こちらの世界にはないものですが、小説のストーリーを自分の意思で変えられる遊びのようなものとお考え下さい。ヒロインは一人しかいませんが、相手役の男性は複数います。たとえば四人だとして、そのうち誰を相手役に選ぶかを、プレイヤーが決められるのです」    男主人公を好きに選べるということか。  こちらの世界のすべてを知っているわけではないが、少なくともパウラはそんなゲームを見たことはない。   「先生の世界のゲームなのですね。そこに『悪役令嬢』が出てくるのですか?」  見たこともないゲームは想像しづらいけれど、異世界のものであれば仕方ない。ナナミがあるというのだからあるのだろう。  この際問題はゲームの有る無しではない。「悪役令嬢」、この言葉の意味が問題なのだ。 「悪役令嬢とは、どんな人を指すのでしょうか」 「わたくしはあまり小説を読んだりゲームをしたりするタチではなかったものですから、これは後輩から聞いた話なのですが。たいていがヒロインより身分の高い令嬢で、美人で優秀です。ですが小説やゲームの中で、主役級の男性に望まれるのはヒロインです。悪役令嬢はヒロインに嫉妬して、彼女をいじめ、最終的に周囲から罪を暴かれ破滅する。そんな役回りだったと思います」  なるほど、これに違いないと直感した。  今パウラが生きている世界が、実は誰かの創った架空の世界で、筋書きはあらかじめ決まっているなどと、とても信じられないし信じたくもない。  けれどパウラは、前世のやりきれない不毛感を知っていた。けして自ら望んだわけではない竜妃聖女オーディアナとして生きた数千年の日々。あれだって、言ってみれば黄金竜オーディと竜后オーディアナによって作られた筋書きだ。自らの意思でなく人生が動かされるという点では、よく似ている。  だからこの世界が小説やゲームの世界なのだと言われても、それほど不思議には思えない。  そんなこともあるかもしれないと思うくらいには。 「ではここが、先生の元いらした世界の小説か、ゲームの世界だとおっしゃるのですね?」  案外落ち着いているパウラの声に、ナナミはこくりと頷いた。 「はい。かなり流行ったゲームでしたので、わたくしのようにゲームをしたことがない者でも、名前くらいは聞いたことがあります。『エル・アディのドラゴンたち』とタイトルがついていました」  エリーヌ・ペローの不審な反応に、パウラはこれでやっと得心がいった。 「なんでよ? こんなのおかしい」  初めての謁見で、エリーヌが思わずもらした言葉。  なるほど、ゲームの筋書きと違うという意味だったか。  それならわかる。  違うはずだ。パウラの動きが、前世とは違うのだから。 「こちらの世界に飛ばされて、今でも信じられない思いでおります。けれどわたくしの世界では存在しない、竜や銀狼や白虎、そのようなものを当たり前に見せられては、受け容れるしかありませんでした。おそらく姫様のおっしゃる方、エリーヌ様もわたくしと同じで訪問者(ヴィト)なのでは?」 「いいえ、おそらく違うと思います。エリーヌ・ペローは、訪問者(ヴィト)ではありません」  エリーヌはヘルムダール所縁(ゆかり)の男爵家出身、言ってみれば「純正この世界人」だ。彼女に記憶があるとすればそれは前世だろう。前世のエリーヌはおそらくナナミと同じ世界にいたのだ。そこでこの世界を舞台にしたゲームを知った。  そう考えれば、パウラの前世での出来事も説明できる。  エリーヌがいとも簡単に4人の聖使の好感度を高めて、あの気位の高いセスランを射止めたその理由が。  知っていたから。  何をどう言えば好まれるか。  どう振る舞えば好まれるか。  どこでいつ誰に会えるか。  エリーヌはみんな知っていたのだ。 「先生、感謝いたします。これでわたくし、自分がどうすべきか、はっきりわかったような気がいたします」  晴れ晴れとすっきりした表情で笑うパウラに、ナナミは何度か目を瞬かせてからつられるように頬を緩める。 「お役にたてましたか? ようございました」 「彼を知り己を知れば百戦(あや)うからず……でしたわね、先生。これまでわたくし、彼、敵を知りませんでしたから。これで戦えます」  敵、エリーヌ・ペローの武器の正体を、前世のパウラはまるで知らなかった。  見た目こそ愛らしい美少女だったが、中身はといえば基礎的な教養のない、軽薄で意地悪な性質で、エリーヌを好む4人の聖使たちの目は、曇るどころか腐っているのではないかとさえ思ったものだ。だからいっそう意地になって、パウラは学習に精を出した。真面目に真摯に努力することこそ、聖女オーディアナとして期待された者の使命であると自分に言い聞かせながら。  誰に好かれずともかまわない。なすべきことを淡々となせば良いと。  今考えれば、自爆である。  飼殺しルートを選んだのは、他ならぬパウラ自身だ。  今生のパウラの目標は、実家(ヘルムダール)への返品、普通のヘルムダール公女としての生活だ。名前も知らない多くの民、誰かのために生きるのではなく、パウラの大切な人のため、なにより自分のために生きたいと思う。  そのために今度こそ、エリーヌの武器に負けるわけにはいかないのだ。  大丈夫。  エリーヌの武器がゲームで得た知識なら、パウラの武器は前世の知識だ。  誰が考えたものか知らないけれど、エリーヌの知るゲームの筋書きなど、書き換えてみせる。 「先生、ランドリをお願いいたします」  身体のばねを使って、パウラは軽やかに立ち上がる。ナナミの右腕とその先の袖口を掴んで、くるりと身体を返した。  投げる寸前で止めて、もう一度。さらにもう一度。 「姫様、まだまだです。もっと速く」  これから先、おそらく次の一月(ひとつき)で大勢が決まる。心身ともにもっともっと鍛えよう。  さらにスピードを上げたランドリは、その後しばらく続けられた。
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