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5
幼い少女とふたりきりで乗るゴンドラのなかは、いつもよりやけに広く感じた。そのせいか、いかにも悪い遊びをしているような気分になり、胸がドキドキしてくる。父の唖然とした表情を思い浮かべるだけで、思わず口元が緩んでしまう。
きらりは窓から見える景色に夢中。両手で頬杖をつきながら、楽しそうに身体を左右に揺らしている。そのちいさな背中を見つめていたら、ふと私のなかに、ある疑問が浮かんできた。
──この子は、突然現れた父のことを一体どう思っているのだろう。
この子の父親は別にいる。どういうわけで本当の父親がこの子の前から姿を消したのか……なんて知る由もないけれど、母親とふたりきりで生きてきたこの子の目に、新しい父はどう映っているのだろう。
もし自分の家に知らないおじさんが突然住みついたりしたら──。
……うわぁ、最低。やだやだ、想像しただけでも恐ろしい。思わず身震いしてしまう。
「ねえ、きらりちゃん」
「なに!」
「お義父さんのこと、どう思ってる?」
きらりの背中が、ほんの一瞬だけぴくりと反応したように見えた。しかしそのあと、きらりはすぐに振り返り、真っ白な歯をのぞかせた。
「わかんない!」
「……え?」
「でもママがたのしそうにしてるから、だからいいの!」と元気いっぱいに答えるきらり。そのちいさな瞳は澄んでいて、不覚にもすこし綺麗だと思ってしまった。
「ママね、ずっとげんきなかったの。きらり、いつもしんぱいしてた! でもあたらしいパパがきて、さいきんのママはすごくたのしそう! だから……」
「だから?」
「へーきなの!」
はじけるような笑顔できらりが答える。その晴れやかな声には、なにか強い決意のようなものすら感じられる。
「きらり、ママだいすきだから!」
「……そっか」
──なんか、わかった気がした。
この子にとって一番大切なのは母親なのだ。やっぱり新しい父親だなんて、そうそう受け入れられるもんじゃない。でも、この子はそんなことよりも母親が元気でいることが大事なんだ。
なんだよ、私なんかよりよっぽど大人じゃない。
母のことを思い浮かべる。父とは喧嘩ばかりでいつも泣いていた母は、最近では生まれ変わったかのように活き活きとしている。私に対しても驚くほどに優しくなった。
そうだよ。父なんて、本当にどうでもいい。家族が幸せならそれでいい。あんなひとのために、一喜一憂するのも馬鹿らしい。私は一体、なににこだわっているのだろう。
「おねえちゃんもだいすき!」
「……え。あ、ありがと」
妙に恥ずかしくなってきて、慌てて視線を窓の外に向ける。この子は私なんかより、ちゃんとわかってる。いちいち腹を立てていた自分が、どうにも情けなくなってくる。
──義妹、か。
当然、まだ実感なんて持てない。義姉だなんて言われても困る。それはきっとこの子もそう。この子だって望んで義妹になんかなったわけじゃない。
──この子は、私とおんなじ立場だ。
バッグの中から、先ほどきらりに貰った手紙を取り出してみる。よく見てみると、中に一枚だけ二つ折りの小さな青い便箋が入っていた。便箋をひらくと、覚えたてであろう下手っぴな文字でこう書かれていた。
『ことはおねいちやん はしめまして』
不覚にも目頭が熱くなり、慌ててその折り紙をバッグに戻す。きらりのほうに目を向けると、いつの間にかまた背を向けて、窓の外を眺めている。
「きらりちゃん」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」
「うん!」
背中を向けたままの少女が元気いっぱいに返事する。その明るい声を聞き、私は少し救われた気持ちになった。
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