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『ジューンブライド -雨の妖精-』
空を見上げる。
こんな大切な日なのに……
開いたカーテンの向こうは、あいにくの天気。
雨足はどんどん強まり、心が沈んでいくのを感じながらも、慌てて身支度を済ませ、会場へと急ぐ。
その時間は、刻々と迫っていた。
ジューンブライド。
この月に結婚すると幸せになれる。
そう信じて決めた日程だった。
一際ロケーションの良いこの場所で、雲ひとつない晴天をバックにガーデンウェディングをするつもりだった。
太陽を浴び、光に包まれながらの来賓客がライスシャワーのなか拍手をして迎えてくれるシーンを何度も想像した。
でも、これが現実か……
控え室で一人つぶやく。
窓の外は低い雲に覆われていた。
キラキラと陽の光を反射するであろうことを想定してチョイスしたドレス。
無数に散りばめられたクリスタルも、この天気ではくすんで見える。
はぁ……雨……
肩を落とす。
でも……
彼と出会った日も、実は雨だった。
それも、雨がきっかけだった。
私たちは雨で始まり、そして新たなスタートを切るときも……
だから、やっぱり雨なのだろう。
軽快なノックとともに彼が入ってきた。
彼の表情は私が予想するものとは全く違った。
満面の笑みで私のウエディング姿を愛で、たたえてくれる。
そしてスッと私の背中側に回って、そっと抱き締めると、そのまま窓の方に身体を向けた。
「この天気が気に入らない?」
そう言った彼の顔を振り仰ぐと、彼は窓の外をまるで愛しいものを見るような目で見つめていた。
「僕たちが出会った日も、ちょうどこんな感じの雨の日だったね」
彼は落ち着いた声でゆっくりと話し始めた。
「あの日、仕事の合間に立ち寄った美術館から出てさ、傘立てに手を伸ばしたら、そこに君も手を伸ばしていて。すみませんって手を引いたら、君も手を引いて、また伸ばしたら同じ傘に手が重なった」
あの日の情景がスッと頭に浮かんだ。
「それは僕のですって言ったら、いいえ私がさしてきた弟の傘なので、って言うからさ、開いてみたらやっぱり僕の傘だった。じゃあ君の傘はどこなんだと、二人でそこにある傘を全部見て探したよね? 誰かが間違えて持って行ったのか、君の傘は見つからなかった。外は雨足が強くなっていて、傘のない君をそこに置い行くにも、自分の傘を君に渡して走るにも当てはまらないほどの雨が降ってきた。君は僕に何度も先に行ってもらっていいって気を遣いながら頭を下げたよね。その時に君のカバンから落ちた物を拾って、僕は君に興味が湧いた。僕が買ったものと全く同じデザインのゴッホのブックマークだった。嬉しくなっちゃって、思わず僕も自分の買ったものを取り出して君に見せたよね? 覚えてる?」
こっくりと頷いて、あの日の彼の表情を思い出して、クスッと笑った。
「シンパシーを感じた僕らは、雨音を聴きながら一つの傘で近くの喫茶店に入った。有名なコーヒー店なのに二人とも紅茶を頼んだことも、買ったブックマークを使ってこれから読みたいと思っていた本の作家が同じだったことも、共通点が多いことに盛り上がったよね。お互い、初めて会ったとは思えないほど打ち解けて、その喫茶店で長く話をしたね。店を出ると、雨は止みかけていた。また二人で同じ傘に入って、僕は会社まで送ってもらって、歩いて帰る君にその傘を持たせた。君に濡れて欲しくなかったのはもちろんだけど、当然ながらまた会える口実を作るための確信犯だった。君も分かってて、それに乗ったんでしょ?」
身体の前で組まれた彼の腕に頭を寄せ、頷いた。
「次に約束した日もやっぱり雨で、君は傘を2本持ってきた。一本はさして、そして二本目の僕の傘を手にして。そのまま映画に行ったよね? 思ったより甘いラブストーリーだったから気恥ずかしかったけど、映画館から出た僕は君が傘を開く手を止めた。そしてまた僕の傘に二人で入って、予約してあったレストランへ向かったよね。少し遠いその店まで歩いている時、君は言ったんだ。雨の音って面白いのねって。僕もそう思った。一緒の傘に入ってボツボツと雨の当たる音を一緒に聞くのが、こんなにもワクワクするのかって、驚いたよ。木の葉を打つ音、地面を打つ音、看板を打つ音……あらゆる音が混在して妙な旋律をなしていて、僕らはそれらを見つけながら一緒に楽しんだ。雨さえも愉快に感じてしまうのは二人だからだと、僕も初めて知ったんだ。そして雨が故に、一つの傘の下で自然に近い距離感で居ることが出来た。すぐ側で話しているうちに、僕たちの心の距離も同じように近づいていったね。君はこうも言ったよ。今まで雨は好きじゃないって思ってたけど、雨もいいなって、ちょっと思えるようになったってさ。僕も全く同感だった」
彼が姿勢を低くして、頬が触れ合った。
「見て。あの空の向こう」
彼の視線の方向に目をやると。光が差しているのが見えた。
「きっと僕らを結びつけた雨雲が、今日の日にお祝いに言いに来てたんだよ。でも、空気の読めるヤツなのかもしれないなあ? 式が始まる前に帰ってくれそうだ」
そう言いながら彼は窓を開けた。
さっきよりも小降りになっている。
木々の匂いが一気に立ち込めて、懐かしいとも思える雨音と、それらが葉を打つ音が心地よく心に響いた。
「雨に感謝しなきゃ。あの日、雨が降っていなければ僕たちは出会っていないし、僕たちは今日の誓いの日を迎えてないんだから」
こっくりと頷いて、空を見上げた。
ドレスを通じて伝わってくる彼の温もりと彼の声を感じながら、今の幸せを噛み締める。
「ありがとう。雨の妖精」
心の中でそうつぶやいたとたん、霧が晴れていくようにみるみると雲が薄らいでいった。
思わず手をかざすほど差し込んできた光に目を細める。
濡れた葉の雫がティアラのようにキラキラと反射して、二人を祝福しているようだった。
もう、雨音は聞こえない。
「さぁ、行こう。でも、その前に……」
二人はもう一度空を見上げてから、にっこりと見つめ合った。
彼の腕に身を委ね、互いに寄り添う。
「幸せになろう」
二人は熱いキスを交わした。
大きな虹がかかった青空のキャンバスをバックに、華々しいセレモニーが開催された。
喝采と祝福のシャワーを浴びながら、二人は再びキスをする。
感謝と誓いのその瞬間、神聖な鐘の音が辺りに響き渡った。
『ジューンブライド -雨の妖精-』
彩川カオルコ
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