雨と君

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夏の夕方というのに暗すぎる空。不思議と心も暗くなってくる。止まることなく耳に響き障り続ける雨の音は全てをかき消す。目の前を通りすぎるたくさんの下校する生徒達。しかし声は聞こえない。音の無い映画を見ているようだ。この状況を映画とするならば、さしづめヒロインは君であろう。この暗い中、君という光だけは俺の目に届く。どれだけ辺りを見渡しても君にだけピントが合う。周りはすべて脇役、ぼやけてしまう。 「ねえ、君も傘忘れたの?」 不意をつかれた君は少し驚いたようにこちらを向く。 「あ、うん。そうなんだよね。朝お母さんに持ってけって言われんだけどねー」 はにかみながら喋る君。一瞬雨が止んだ気がしたけど気のせいだった。 「俺も忘れたんだよなー。これ止む気配全然無いよな、どうしようか」 「ほんとにね、どうしよっか。でも河野くんも忘れたなんて意外だな。しっかりしてると思ってたから」 「そんなことないよ、なんなら君が忘れたってことの方が驚きだね」 「それこそそんなことないよー」 正面玄関からはまだまだたくさんの生徒が出て行く。それなのに、君と少し話しているだけで、君と俺、二人の世界だけが切り取られたようだ。 「やっぱり走って帰るしかないかなー」 じっと俺の目を見ながら話していた君は、ふと外を見る。雨足は弱まることを知らない。 「じゃーね、河野くんも気をつけてね!」 一瞬こっちを見た君は、手を振って立ち去ろうとする。 「か、神崎さん!待って!俺も一緒に帰るよ、家の方向一緒じゃんか?」 「え?あ、うん、別にいいけど・・」 君は少し俯き加減で黙ってしまった。でも、その表情はちょっと照れているようにも見える。これは、俺は喜んでいいんだろうか。それとも、こんなことを考える俺はただの愚か者なのだろうか。雨の音はどんどん強くなっているように思える。 「よし、じゃー行こっか」 君はカバンを傘にして駆け出していく。俺は慌てて追いかける。 「きゃー!冷たい!」 君は水たまりを避けながらはしゃいでいる。なんだかとても楽しそうだ。 「フフ、ねえ、なんだか楽しくない?」 「え?あ、うん、そうだね」 驚いた、ほんとに楽しかったようだ。彼女は全然振り返ろうとしないが、背中で笑っているのが分かる。 「なあ、神崎さん!寒くない!?」 「え?大丈夫だよ、夏じゃんか」 「そっか・・えっと、神崎さんの家って、郵便局右に曲がってまっすぐ行ったとこだったよね」 「うん、そうだよー」 「俺、家まで送って行くよ」 「え?ほんと!?あ、ありがと・・」 君は全然走ることを辞めない。そりゃそうだ、こんな雨の中、早く帰りたいに決まっている。でも、せっかくの君との2人の時間、全然喋ることができない。君もやけに静かだ。 あっという間に君の家に着いた。そして君は玄関の方に走って行き、雨を避ける。 「ふー、やっと着いた。あ、ごめんね、わざわざ来てもらっちゃって」 もう着いた。もうこの時間は終わるのか。 「いや、気にしないで、大丈夫だよ」 君は髪の水を落としている。それが妙に色っぽい。なんだか、顔をよく見たら少し赤くなっている気がする。 「あれ、ちょっと顔赤くない?雨だけど、そんなに暑かった?」 「え!??そう!?あ、結構走ったからかな。暑くなっちゃったー」 「そ、そうか」 あれ、なんで俺こんな変なこと聞いてんだ?でもこのリアクション・・もしかしたら、なんて考えてしまう・・。俺はただの愚か者?それとも、期待しないほうが愚か者? 「あ!すごい濡れちゃったよね」 慌てた様子の君の声に俺は急いで君の方を向く。 「良かったら、うちで雨宿り、していく・・?」 「えっ・・?そ、そ、そんなのいいよ!結構家も近いし、すぐ帰るから」 まさかの言葉に慌てて咄嗟に答えてしまった。ここはうんって言っておくべきだったのかもしれない。こういうところが俺のダメなとこなのかもしれない。 「そっか、じゃー気をつけて帰ってね」 「う、うん、神崎さんも、風邪引くなよ」 「うん、ありがと」 ザーーーーーーーーーーー 雨の音だけが鳴り響く。きっと俺が行くまで君は家に入らないのだろう。 「なあ、やっぱり玄関の前で雨宿りだけさせてもらっていい?」 「え!?う、うん。いいよ・・」 俺は君の家の門を開け、君の方に小走りで行く。玄関の前、雨を凌げるのなんて、人が三人立つことができる程度のほんの狭い場所。君の隣、肩が触れ合うほど近くに立ち、外の方を見る。とても濡れた君を見ることなんてできない。それでも、匂いだけは感じる。それだけで君との近さを感じて落ち着くことなんてできない。そんな中、君は口を開く。 「私、ほんとに雨が嫌いなんだよね。外で遊べないし、傘さしてても濡れるし、その傘を持っていくのがめんどくさいし、と言っても今日忘れちゃってるんだけど」 「うん」 君は少し笑いながら話を続ける。 「でも、今日は違ったな・・・こんなに君と一緒にいられるなら、毎日雨でもいいかもしれないな・・」 「えっ?」 君は降りしきる雨を眺めている。雨音にかき消されそうなほどの小さな声だったが、俺は確かに聞き逃さなかった。胸の内から、何か熱いものが込み上げてくる。夏とはいえ、雨に打たれ続けて寒さに震えていた体が突然熱くなり、体中が痒くなる。右手を少し動かすと、不覚にも君の左手に当たってしまった。俺は慌てて手を引っ込め、君の顔を見る。すると、同時に君も俺の顔を見る。お互い何も言わず、数秒間じっと互いの目を見つめ合う。彼女の表情は、じれったがっているような、何かを待っているような、そんな表情に見えた。俺は愚か者なのだろうか。いや、ここでそんな逃げ腰の考えをするほうが愚か者に決まっている。俺は右手で、さっき触れ合った君の左手をギュッと握る。やはり体は正直で、雨に打たれ続けた君の手は、冬のようにひんやりと冷たい。そしてそれは俺も同じであろう。だが、それでも、心は燃えるように熱い。俺は、一つ大きく息を吸い、声を発する。 「お、俺も今日、君と二人で帰れて、いっぱい喋れて、すごい嬉しかった!毎日こうだったらいいなって思う・・」 胸が熱い、鼓動がうるさい。あんなに雨が降っていた、いや、今も降っているというのに、ついに雨音が聞こえなくなった。君は何も言わず、少しうつむきながら、うっすらと微笑んでいる。これは、どういう表情だろう。うまく頭が働かない。 「ま、また明日、絶対会おう!風邪引かないでね!」 俺は、これ以上はまともに話すこともできなさそうだと思い、君の手を強く握りながら言った。 「うん、また明日ね」 君が俺の目を見ながら言うと、繋いでいた手を離した。俺は軽く手を振ると、再び雨の中を走って帰った。雨に打たれると、寒さを思い出したが、風邪を引く気は全くしなかった。 次の日、ほんとに風邪を引かなかった。天気予報を見ると今日も午後から雨だった。しかし、傘は持って行かなかった。学校に着くと、君も来ていた。 「良かった、風邪、引かなかったんだね」 「もちろんだよ、また明日っていったじゃん」 可愛く微笑みながら言う君を見ていると、昨日のことを思い出し、直視できなかった。 「じゃ、また後でね。」 その日は何も話さず一日が過ぎていった。まるで昨日何もなかったかのように。 そして放課後になる。君はもう教室を出て行ってしまっているようだ。玄関を出ると、予報通り雨が降っていた。そして、その雨を避けて屋根の下に立っている君の姿が見えた。俺は少し喜びながら近づく。 「あれ、待っててくれたのか?」 「お、来たか河野くん、まあそんなとこかな」 「ふーん。て、あれ、傘持ってないの?」 「う、うん。て、あれ?もしかして君も?」 ほんの少しの沈黙の後、俺と君は同時に大声で笑い始めた。雨の音も聞こえなくなるほど、大声で笑った。下校する生徒たちは、雨というのに傘を持たずに大声で笑う二人を怪訝な目で見ていたが、お構いなしに、大声で笑った。だって、この映画の主人公は俺、ヒロインは君だから。他は全部、脇役に過ぎないから。 「しょうがない!今日も走って帰るよ!」 君はそういうと、鞄を傘にして雨の中を駆け出して行った。 「速っ!ちょっと待って!」 俺は慌てて、君の後ろを追いかけた。
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