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被害者 持田はじめ
黄色く色褪せた表札には辛うじて読める「宮本」の二文字が並んでいた。廊下にはこちらも古い二層式の洗濯機が置かれていたが、使われている様子はない。チャイムを押すと、薄いドアの向こうから返事があり、しばらくして持田はじめが顔を出した。何人かが写真写りについて指摘していたことは、すぐに理解できた。全てのパーツがバランスの良いサイズで配置された持田の顔は、写真で見るよりずっと綺麗だ。
「はい?」
キョトンとした表情でこちらを覗き込む持田に、慌てて名刺を手渡す。
「かわさきさん?フリーライター?」
名前を読み上げるはじめの唇が上下する度に、何か甘いにおいがしていた。見ると手にはアイスキャンディーを握っている。事件の話を聞きたい。と告げるとはじめは警戒する様子もなくドアをさらに押し開ける。
「いいよ、上がって」
玄関にはスニーカーがいくつか積み上げてある。ブランドや形を見れば、ここに暮らすのは若い男というのが想像できた。亀田の部屋とは違い、やや雑然としている。やはり二人で暮らすには狭い。案内された一間には敷布団一組が敷かれたままになっており、それがここに暮らす宮本と、はじめの関係を示しているようだ。
ここで毎晩、セックスしているのだろうか?余計なことが頭をよぎる。
はじめは布団の上に腰を下ろしてアイスキャンディーを舐める。おかしな事を考えたせいか、赤い舌が溶けたアイスを這う様子は嫌に生々しく思えた。
「狭いけどいい?あれでしょ?会った?あの人。名前なんだっけ?そう言えば名前きいてないわ。元気だった?」
部屋にクーラーは無いのか、開いた窓からは生温い風が吹き込むばかりで、とにかく暑い。猿渡は今日も空調が管理された拘置所で、持田はじめを思いながら元気に暮らしているはずだ。
「あ、そうなんだ。あの人ヤバいでしょ?最初は付き合ってやってたの。犬みたいに扱って欲しいとか言い出してさ。首輪付けて散歩連れてってやったり」
猿渡が言っていたもう一人の自分が、犬の様に扱われる事を望んだのだろうか。
「ケツ蹴り上げたら、キャンって鳴くから面白かったよ」
写真では分からなかった、生きた表情一つ一つがはじめをより魅力的に見せるのかも知れない。血色の良い皮膚は小さな汗粒で、キラキラと煌めき、そこに張り付く髪の毛の一本一本までも、はじめの容姿を彩る装飾にも見えた。それに長いまつ毛の奥にある、濡れた様に潤んだ瞳に見つめられると落ち着かない。
「目の前で指切り始めた時は、マジでビビった。いてぇって言いながら、ノコギリでゴリゴリやってんの。見てろっつうから見てたけど、ガチの────じゃん。あの指、うちの実家に送ったって。キモすぎ」
まるで自分とは関係ない誰かの話しをしている様だ。それも冗談でも話す様な軽快な口調だった。
「だって、面白くない?足の指だけじゃないよ?体中ナイフで傷つけて、悲鳴上げながら、───勃起してんの。笑っちゃうでしょ」
血を流しながら悲鳴をあげる男を前に、ある意味冷静でいられた持田はじめを理解するのは難しい。
家宅捜査のため、猿渡の部屋に入った捜査員は、寝室で手錠を掛けられた全裸のはじめを発見した。身体的な外傷はどこにも見受けられず、食事や風呂も与えられていた。猿渡は一体、なにがしたかったのか、それが知りたかった。だが、今ならわかる。虐げられる側と、虐げる側の二つしかないのなら、はじめは絶対に後者だ。
それにしても暑い。額から流れる汗がシャツの襟を濡らし続けている。
「暑いよね。クーラー買えっていっても買わないんだよね。アイス食う?」
はじめは食いかけのアイスキャンディーをこちらに寄越した。液状になったチョコレートのアイスははじめの腕を伝い、肘からさらに、ハーフパンツから露出した、太ももに流れ落ちる。
「食っていいよ?」
冷えて赤くなった唇がこっちへ来いと誘っているようで、思わずはじめの手を取った。そうして、アイスキャンディーにかぶりつき、それからはじめの手を流れる温くて甘いチョコレートを舐め上げた。
「そうだ。お兄さんち、クーラーある?」
おわり。
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