加害者 猿渡幸樹

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加害者 猿渡幸樹

「沼ですよ」  拘置所の面会室で向かい合った猿渡幸樹は、持田はじめをそう例えた。  綿麻の半袖のシャツに、グレーのスラックスで現れた猿渡の印象は、テレビで見たのとは随分違っていた。規則正しい生活を強いられる拘置所だからか、逮捕時に比べて血色が良く見える。痩せてはいるのだが、病的な雰囲気はない。銀縁のメガネの奥から一重の切長の目が見定めるようにじっとこちらを見つめていた。 「はまったら抜けられない、沼ですよ。彼。それに、僕の中でじっと身を潜めてた、もう一人の僕を呼び起こしてくれた」  猿渡の向こうでは、刑務官がノートに鉛筆を走らせる。もう一人の自分を呼び起こしたというのはどう言う意味か。歯科医師であり、猿渡歯科医院の院長である猿渡が、事件を起こしたキッカケもまた、持田はじめという事なのだろうか? 「貴方には分からない。彼に会ったことも無いんだから。彼はファムファタールだ」  男を惑わす魔性の女。持田はじめは男性であり、その表現は正確とは言えない。何度もはじめの写真は見ている。誰もが口を揃えて称賛するほどの魅力は感じられなかった。今、目の前に作られた持田はじめは、ただただ信用できないいい加減な若者というだけだ。 「どう思われても、構いませんよ」  ポストの向かいに設置されていた自動販売機に設置された監視カメラの映像が、猿渡の逮捕のきっかけだった。職場で任意動向を求めた刑事と押し合いになり、猿渡が手を出したことで公務執行妨害での現行犯逮捕だった。後日、猿渡の部屋で行われた家宅捜査によって、持田はじめの失踪との関連が確認され、猿渡は再逮捕されることになった。  持田の実家に指を送ったりしなければ、事件の発覚はなかった。なぜそんなことをしたのか。 「誰かに知ってもらいたかったんです。あのまま一緒に居れば、僕は彼に殺されていた」  猿渡の身体には沢山の切り傷があったと言ったのは、先に話を聞いた元刑事だった。ただそれも、本人が自分でつけたものだった。 「恨んでません」  猿渡の中には持田はじめに対するアンビバレントな感情が見え隠れする。 「僕は彼を忘れられない。あの顔。今思い出しても勃起しそうだ」  刑務官が咳払いし、猿渡は恍惚の表情で短く体を震わせた。 
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