最終話 その前と後の話

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最終話 その前と後の話

 十二月十二日(木)二十四時三十分。 「はい、ナイトモールです」 「この後女の子お願いしたいんですが、今何人くらいいます」 「はい、今日は結構出勤していますよ。お客様のお好みはどのような子ですか」 「胸が大きくて、若くて、細めの子で」 「あっ、はい、スレンダーな感じでしょうか」 「いや胸は大きい娘ね、できれば黒髪で大人しい子がいいんだけど」  淡路は電話を終えるとそわそわと冷蔵庫に冷やしておいた缶ビールを飲み始めた。もう、完全に脚本の執筆は放棄している。  四十分後に淡路の部屋を訪れたのは、オーダーと違うゴリゴリのギャルだった。 「こんばんは、冴です。失礼します」 「冴えちゃんね」  淡路の頭が珍しく稼働した。デブではないが胸はなさそうだ。黒髪でもなく、見た目どヤンキーだが、年齢は若そうだ。ここでチェンジして時間がかかった場合、プロデューサー野口がやってくる危険がある。どうするか、先生の悩みは長く続かなかった。若さは全てを凌駕する。 「思ったよりかわいい子でびっくりした」 「本当ですか嬉しい」  女がシャワーを浴び始めると、ベッドで横になった途端、淡路に睡魔が襲ってきた。連ドラ終盤で二徹している。六十代の体にはこたえる。 「じゃあコース始めます……」  浴室から戻ってきた冴は淡路を揺らして起こしたが、「うーっ」と淡路は何かうめくと寝息を出し始めた。女はタバコを吸いながら、スマホをいじりながら時間をつぶした。  四十分くらい経過したところで「帰りまーす」と冴は帰り支度を始めた。 「お客さんすいませーん。料金いただきます」  淡路が寝入っているのを確認すると。机の上に無造作に置かれた財布を手にした。 「すげー持ってんな」  淡路の財布の中から冴は五万円を抜き出した。 「何やってる」  その時、淡路が目を覚ました。 「何もやってないわよ」 「今、財布から金ぬいてただろ。ふざけんじゃないよ。今何時だ、えっ、もう三時。お金を返しなさい」  淡路は女に襲い掛かった。 「黙っておいてやるから」 「ふざけんな、エロ爺じい」  淡路が足にからみつく、冴は腹に蹴りを入れた。しかし、淡路は女を離さない。  冴はバッグのヒモを淡路の首に絡みつけた。暴れる淡路に冴はさらに力を込めて首を絞めた。手足をバタバタさせながら、やがて淡路は動かなくなった。 「はぁ、はぁ、はぁ」  荒い息をしながら、冴は我に還り自分の足元を見た。そこには口から泡を吐きながらぐったりとしたデブの老人が横たわっていた。  「やっちゃった、ちょっと何なの、最悪、わぁー最悪」  冴はベッドを離れると、心の動揺を落ち着かせる為、またメンソールタバコに火を付けると煙を深く吸い込んだ。  遺体を前にしながら何もいい考えは浮かばず時間が流れた。  ドアがノックされた。ドライバーが迎えに来たかと思った冴はドアを開けた。が、そこに立っているのは見知らぬ男、野口だった。  野口は目の前にある淡路の遺体を見て、デリバリー嬢・冴にすぐ帰るように指示した。  一人になった野口は、淡路の鼓動の有無を確認し体を何度も揺さぶってみたが反応がない。  でもこの時、野口の気持ちは妙に落ち着いていた。女が残していったタバコに火をつけるとしばらく部屋でボーッとしていた。  この解放感はなんだろう。  テレビ局に入れば安穏とした生活が保障されると思っていた。自分があこがれていたドラマの世界に入ったことにより夢がかなったと思った。でも、もめごとばかりで楽しいことは無く家にもまともに帰れない。おまけに作家はとんでもないクズ男で、どうお願いしても俺のことを馬鹿にして書いてくれなかった。そしてドラマは更につまらない物となり、構成はどんどん破綻していく。上司に訴えても「何とかするのが仕事だ」と突っぱねられる。俺は人生を間違ってしまった。もとはといえばこの前にいる男が原因だ、俺は巻き込まれたに過ぎない。  野口は部屋のパソコンを隣の部屋に移し、自分の部屋の荷物をこちらに移した。  自分が書いた方がいいものが書ける。そう思い最終回の十頁を書き始めた。  その後、十二月十四日(土)二十一時  野口の話を聞き終えると、私は富田へ連絡した。  七〇一号室の部屋で力なく座っていた野口とベッドに仰向けで横たわる淡路の遺体を見て富田はすぐに警察へ通報した。その後ホテルは大変な騒ぎとなった。フロントの蛍池に確認するとやはり七〇二号室は野口が自分用に使っていた部屋だった。 数分で愛宕署の警察官が到着し、部屋には立ち入りできなくなった。私も刑事から事情聴取を長時間受けた後にようやく解放された。  富田からは「しばらく局で待っていて欲しい」との連絡をもらっていたので指定された応接室で待つしかなかった。  あまりに多くの事が起こった個々数日間の疲れと、整理できない思考の渦の中で、私の全身は虚脱感に覆われた。  日付が変わって十二月十五日(日)午前一時頃。何をするでもなく待っていると富田が戻って来た。 「待たせて悪かった。警察署で弁護士と接見してきた」  さすがに疲れた様子で向かいのソファーに深く座ると、一度深いため息をしたあとことの顛末を話し始めた。 「それでどうでした?」 「幸いな事に野口が先生を殺したのではなさそうだ。淡路さんの発信履歴から風俗嬢を呼んでいたことは立証された。いまその女を逮捕して自供をとっているらしい」 「本当だったんですね。でも先生も原稿書かずになんてことを……」 「悪い癖だな。野口はそれも許せなかったと言っている」 「でも、なんでだろう、まだ分からないことがあるんですが」 「なんだ」 「野口さんは、どうして先生の部屋の様子を見張っていたなんて嘘を言ったんだろう、そこからおかしくなったんです」 「そのことか、俺も最初に報告受けたとき変だと思った。カーテンをしていたら日中部屋の照明なんて見えないしな。あいつにそのことを聞いたら変なこと言ってたよ。『デスクで仕事していると、先生の部屋に人影が立っていた』って」 「おそらく、先生は死んだ後になってから原稿のことを気にして、仕事しようと一応パソコンの前には座ったんじゃないですか」  富田は表情を和らげて私の話を聞いていた。 「ところで、このドラマはどうなるんでしょうか?」  私は肝心な質問をした。 「プロデューサーが重要参考人だ。それが死体遺棄事件となり、メインライターが風俗嬢に殺されて死亡。最悪な結果は間違いない。俺のチームだし俺の作品だ最後まで見届ける。でもこの状況、即打ち切りは免れない」 「そうですか、残念ですがしょうがないですね」 「ミナちゃんも巻き込んでしまって悪かったな」 「じゃあ私はこれで」  私はそういって荷物を持って席を立ちあがった。 「でもね、最終的にそれを決めるのは俺じゃない」富田は突然私のバッグを持った。「それまでは上が選択できる状況にしておかないといけないからな」  富田の目がまた殺し屋に戻った。 「ん、なんのことですか」 「放送するしないに関わらず、本は必要なんだ。お前だってプロだろ、先生から託されたと思って、とにかく今から死ぬ気で追悼作を描いてくれ。」 「もう私はボロボロです。書けません」  用心深くなったつもりが、私はまだまだ世の中を甘く見ていたことを思い知った。  そう思うと、書く前に余計な推理なんてするんじゃなかった。  先生が前に言ってたな。悪いことは一回で終わらないで、観客が安心したところでさらに最悪のことを起こせ。  今の私の状況見て、先生ならなんて言うんだろう。  余計なこと考えている暇があったらとにかく書けだろうな。 (終)
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