爽籟に溶けていく君は

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 僕の名前は鹿目(かなめ)。山奥にひっそりと建つ診療所の医師だ。  ここは自宅兼診療所の為、僕は住み込みでここで働いている。  僕以外にもこの診療所には住人がいる。それが同居人の爽子さんだ。  僕らの朝はいつも遅めだ。食事や家事全般は僕が基本行っている。  爽子さんがリビングのテーブル席に着く。僕は爽子さん用のマグカップにインスタントコーヒーの素――今回はカフェオレを用意――を入れ、その中にお湯を注ぐ。  お湯が注がれて、マグカップからこぽこぽと可愛らしい音が鳴る。甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。僕も同じものを淹れようかなと考えながら、出来上がったカフェオレを爽子さんに渡す。  爽子さんは僕の淹れたカフェオレを、ふぅふぅと冷ましながらゆっくりと飲んでいく。  僕は欠伸(あくび)を我慢できなくて、噛み殺しながら朝食のハムエッグを作り始める。  少しした頃、くすくすという小さな笑い声が聞こえてきた。何が面白いのか、爽子さんが笑っていた。あとで聞いてみよう。  あ、ハムエッグが焦げてしまった。  朝食が完成した。起きてから約30分。なかなかの手際だと思う。 「いただきます」  テーブルの上に並んだハムエッグをひと口頬張る。  うん。見た目はアレだけど、味自体は普通だった。もちろん爽子さんの分は成功しているので安心してほしい。 「……ふふっ」  また、彼女が笑った。 「……? さっきから何か面白い事でもあったのかい?」  僕は彼女に聞いてみた。彼女は先ほど使用していたカメラを僕の前に置く。 「見てみればわかるよ」  爽子さんがそう言うので、僕はカメラを受け取り中のデータを確認する。 「……なるほどね。君が笑う訳だ」  確かに彼女の言う通り、データの中にある写真は彼女が笑う理由になるには十分だった。  先ほど撮影された僕の写真。僕の頭には完璧な寝癖が付いており、さらに頬には机上に散乱していた論文などの紙面のあとが付いていた。なんてだらしのない表情なのか。  僕は自らの見え方について、もう少し考え直す必要があるようだ。そう思わせてくれる一枚だった。  爽子さんがテレビを付けて朝の情報番組をチェックしている。  僕はそんな爽子さんの横顔を、撮影する。  “カシャッ”とシャッター音が切られる。音に気付いた爽子さんが僕の方を見た。 「……それ、面白い?」 「面白いとか、面白くないとか、そういうことではないよ。君の為の記録だからね」  そう言って僕はもう一枚、彼女を被写体として撮る。  この光景は飽きるほどに見てきた。  彼女を被写体として撮影するということを始めてから、かれこれ4年が経っていた。  爽子さんは、とあるを患っている。  【爽籟病(そうらいびょう)】  これは秋の時期の2か月間のみ起床し、他の期間はまるで昏睡状態のように眠ってしまうという病気だ。  9月1日に目覚め、10月31日には眠ってしまう。  そのは彼女が14歳の頃に発症した。
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