Belgian chocolate~恋とフーガ 番外編2~

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カチ、と炊飯器の、炊飯が終わった音がした。 飯のいい香りがしてきた。 「ご飯食べよう」 ゆり子が体を離し立ち上がる。 「お魚とおひたしね。白菜。お魚焼くわ。 そうだ、母から漬物送って来たのよ」 髪を手櫛で撫でつけるとひっつめに結び直し、 昨日の服のまま台所の壁にかけてあったエプロンを被ると、 手早く蝶結びをつくる。 水道から鍋に水を注ぐ音、コンロに火が入る音、換気扇を回す音。 台所正面の窓から光が差す。 雪は止んだらしい。 ゆり子の後姿は黒っぽい影になって つま先立ちして棚のボウルを取ったり コンロのつまみを回して火力を調節したり まな板を出して何か切ったりして忙しく立ち働く。 小さな石油ストーブの上の、やかんから湯気が細くのぼり出した。 「何か手伝いますか」 立ち上がりかけた俺にゆり子は振り向かず言う。 「テレビ観てていいよ」 いつもの朝だ。 手伝いを断られ、また拒絶されたような気分になって 仕方なくテレビをつける。 ニュースで、昨晩の雪で事故が多発したと言っている。 電柱にぶつかってボンネットの潰れた車の上に雪が積もっている。 黒い合羽を着たひとが数人、懐中電灯を持って周囲を歩き回る。 背景は、昨日来た道のような青だ。 カーラジオから流れてきたBWV1001,不安な心持ち、 ゆり子への不満… 舌の上から チョコレートの甘さが消えてゆく代わりに、 事故現場の暗さのような 何とも言えない重苦しい気持ちが 胸のあたりに広がる。 チョコレートだけ、なのかな…受け入れられたのは。 それでも、と思う。 それしか、受け入れられなくても、 俺はこの人が好きだ。 チョコレートだけ、たったそれだけ 受け取ってもらえたことが 惨めになってくるくらい嬉しいのもほんとうだ。 視線はいつの間にか、テレビから 朝食を作るゆり子の後姿に移っていた。 「あ。」 何かに気づいたように、ゆり子が声を上げる。 「やっぱり、テーブル拭いてもらえる?」 振り向いたゆり子が、搾ったままの布巾を放り投げる。 一瞬台所の窓の光がさえぎられ、また眩しく差してきた。 目がくらむ。 布巾を取り落としそうになる。 ようやく目をあけて、ゆり子がテーブルと言った ちゃぶ台の上を拭く。 俺はチョコレートの箱の蓋を閉じ、そっと畳の上に置いた。 ゆり子が盆に湯気の立つ茶碗を載せて運んできた。 「できたよ」 と、屈託なく笑う。 差し出された盆の上から、味噌汁の入った碗をとり、 ちゃぶ台に並べる。 ゆり子は飯碗を置くとまた台所に戻って行った。 頭の中から、昨日のくらい夕景色が 消えていった。
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