グラスの中の彗星

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 その日は、いつも通り公園で子どもたちと遊んでいた。  家の近くの公園では近所の小学生がよく遊びに来ていて、子どもが好きな私は勉強の合間に彼らと混じって遊んでいるのだ。遊んでいるというか、遊んでもらっているというか。……試験勉強やら受験勉強やら息が詰まって仕方がないのが悪い。いくら頑張り屋の私でも限度っていうものがある。  子どもたちは年上の私が混じっても気にしないで遊んでくれるから好きだ。一緒になって走り回るだけでなんだか楽しくなる。大人になるに連れて忘れてしまった純粋な心が蘇ってくるみたいだ。大きな声で笑いながら走っているだけで勉強の疲れがとれていく。  そうしていつも通り公園で走り回っていた私だったが、ふと視線を向けた先にいつもと違う光景が目に入った。  土がむき出しになっているグラウンドのような場所の隣は広い芝生に大きな木が一本そびえ立っている。その場所は隣の土地と近いので子どもたちもあまり足を踏み入れない場所なのだが……その大きな木の下に人影があった。全体的に白っぽい。あまり現実味がないその人は、ぼーっとした表情でこちらを見ていた。……なんだか、幽霊みたいな顔だ。 「おねーちゃん、どうしたの?」  急に立ち止まった私を不審に思ったのか足元に子どもたちが寄ってくる。私は子どもたちの頭をなでながら少し考え――彼らに「ごめんね」と謝ってから大きな木の方へと向かった。  近づくに連れ、その人影が私より年上の男の人だということがわかった。大学生とか、それくらいだと思う。上下白い服を着た、きれいな顔の男の人。木漏れ日に照らされキラキラしてきれいだなぁと思ったのは一瞬で、彼の顔が着ている服より白いことに気づいて慌てて傍に駆け寄った。 「だ、大丈夫ですか?」  彼の隣に膝をついて顔を覗き込む。まるで彫刻のような顔がこちらを見ている。でも、目には生気がない。これは……やばい。これ、今すぐにでも倒れちゃうかもしれない。 「大丈夫じゃないですね! どうしよう、人を呼ばないと……! えーっと、携帯は――……」  子どもたちと走り回るので携帯は落ちないようにチャックのついた小さめのショルダーバッグの底の方に押し込んでいたはず。焦りながらカバンに手を入れようとした私の手首をがしり、と強めの力で握られた。思わず変な声が溢れる。 「――まって、れんらく、しないで」 「へ……?」  私の手をつかんだのは青い顔の青年だった。見た目に違わず弱々しい声で人を呼ばないでと言う。そのお願いに私は困惑した。こんなに具合が悪そうなのにどうしてそんな事を言うんだろう? 早くベッドに横になったほうが良いのに……。 「ここが、いいんだ。ベッドの上は、もう飽きたから」 「……わかりました」  私は渋々頷いた。もしかすると彼は家出少年で、帰れない理由とかがあるのかもしれない。親切の押し売りはいけないってお母さんもいつも言っていたし。私はそんなつもりはないんだけど、どうも人の世話を焼きすぎてしまうらしい。そうして人をダメにするんだそうだ。それに彼だって私のおせっかいが迷惑だと思っているかも。  ……それでも、眼の前で青白い顔で浅く呼吸をする人を見過ごすことなんて出来なかった。 「わかりましたけど、私がお世話を焼くのは別ですからね! ほら、横になってください。座っているよりも楽になりますよ」 「…………ほうっておいて、ほしいんだけど」 「ダメです、無駄です。私が『お世話を焼く』って決めたので。あなたは私にお世話されないとダメなのです。『ダメ人間製造機』をなめてはいけませんよ!」  私は彼の隣に座り、呆然とする青年の頭を抱え込み――そのまま膝の上にのせた。急な出来事で反応できなかったのか、それとも抵抗する体力すら残っていなかったのか、青年は膝の上で大人しくしている。 「……ほら、汗もかいてるじゃないですか。ちゃんと水分補給しないとダメですよ。あとで何か買ってきますね。今の時間は外でも涼しいですけど、お昼になると暑くなるので帰りましょう。日中の公園は緑があっても暑いですから。木の下でも日差しは耐えられませんからね」 「ほんとう……きみは、おせっかいなんだね」 「えぇ、よく言われます。でも、誰かの世話を焼くのが好きなので止められないですね」  呆れたように笑う青年に、私はニカッと大きく笑ってやった。『おせっかい焼き』上等だ。私にとっては何よりの褒め言葉になる。  笑いながら頭をなでていると、青年は少し驚いたように目を見開き、そのままゆっくりと目をつむった。しばらくしないうちに小さな寝息が聞こえてくる。……やっぱり、なんだかんだ言っても体は休息を求めていたようだ。 「おやすみなさい、いい夢を」  体は大きいけど子どものような青年に、私は思わず笑みがこぼれた。 *  彼と公園で出会ったあの日以降、ちょくちょくあの木の下で会っている。子どもたちと遊んでいると視界の端で白い布がふらふらと揺れているのだ。これで気にしないで子どもたちと遊べという方が無理がある。  毎度毎度病人なのに炎天下の下に出たがる困ったちゃんを木の下に押しやり、ついでに受験疲れのストレスを青年に吐き出している。私としてはストレス発散ができるなら走り回るのでもおしゃべりし続けるのでもどちらでもかまわない。彼と話すことで気分転換が出来ているので私としてはちょうどよかったし、何よりふらっとどこかへ行こうとする病人を監視ができて一石二鳥だ。  彼は基本的にワガママボーイだ。二十歳くらいのいい大人なのに好き嫌いは多いし、ベッドで大人しくしなさいって言っても勝手に抜け出しちゃうし。――そう、この人、病人っぽいなと思ったら本当に病人だったのだ。近くの病院に入院している患者さんで、ここには病院を抜け出してやってきているらしい。それを聞いたときはさすがの私も頭を抱えた。どうして入院患者が脱走して公園に遊びに来ているのか……本当、理解できない。彼と出会った日、慌てて病院まで一緒について言って頭を下げたことが忘れられない。一応お医者さんたちも彼の行動は把握しているらしく問題ないよと言ってくれたが……問題ないはずがない。ワガママボーイにもほどがある。いつも一緒に遊んでいる子たちだって病気のときは家で大人しくしてくれるのに。 「……だから、もう病院を抜け出しちゃダメですよ! 病気が治るどころかもっと悪くなっちゃいますからね!」 「そんなことはないよ。あんな息の詰まるような場所にいたら、もっと悪くなってしまう。こうやって風が通る外にいたほうが気持ちが良いよ」 「今は夏ですからね!? まだ初夏だから暑くないけど、これから暑くなるんです!! 外にいたら倒れちゃいますよ!?」 「大丈夫だよ。だって、ヒカリが助けてくれるんでしょう? ずっと一緒にいてくれるって言ったもの」 「『ずっと一緒に』じゃなくて、『帰るまで一緒に』です! もう、都合のいいように記憶を変えないでくださいよ」 「『ずっと』も『帰る』までも変わらないよ。君がそばにいてくれるなら、なんだっていいんだ」  そういって病弱の青年――ユートは笑った。私は思わず溜息がこぼれる。もう何度このやり取りをしただろう。彼の体のためにも病院で大人しくしてって言ってるのに全然聞いてくれない。外の方がいい、病院には戻りたくない、そう駄々をこねるのだ。ちらり、と彼の方を向けば青白い顔にじんわりと汗が浮かんでいる。……今はもうお昼に近い。いくら土地柄涼しい場所だとはいえ夏は暑い。こんな場所に長くいたら、体力の少ないユートは倒れてしまうだろう。  ここは甘やかすところではない……。そう覚悟を決め、私はユートに向き直る。 「? どうしたの、ヒカリ」 「ユート、今日という日は私も引きません。ユートにクーラーの効いた涼しい場所に連れて行くまで、何度だって説得します!」 「それはつまり――いつも以上に、僕と一緒にいてくれるってこと?」 「そう、じゃ、ない!」  怒りたいような、泣きたいような気持ちで叫ぶ。私が身悶えているのを彼は楽しそうに笑っている。初めて会ったときはこんなに笑う人だとは思わなかった。彼は笑い上戸だ。何かあるごとに笑っている。嬉しいことがあれば、驚いても笑う。いつも軽やかな笑みを浮かべているけど、その笑顔を見るたびに私はどこか不安になる。彼の笑顔の中に暗いものが見えるからか、微笑むように笑うその笑い方が消えてしまいそうに儚いからか。 「……ともかく! 今日は、病院に、帰るんですよ!!」 「ヒカリともっといたいのに、つまらないよ。ね、この前の話の続きがききたいな? 友達が彼氏にフラれて、怒って手元のお弁当を顔面に叩きつけた話」 「あれ、もう何度も話しましたよ? そんなに聞きたくなるような話じゃないと思うんですけど……」 「だって友達のマネをするヒカリが可愛いんだもの。何度でも聞きたくなるよ。ね? おねがい」 「うぅ……っ」  ユートは泣きそうな顔でこちらを見ている。私は彼のこの顔に弱い。捨てられた子犬のような顔をされてしまっては私の『おせっかい焼き』の部分が飛び出してしまう。放っておけなくて構いたくなって仕方が無くなっちゃうのだ。そして彼はそんな私の葛藤を分かっていてこの顔をするからたちが悪い。 「……分かった、わかりました。けど、この話をしたらちゃんと病院に帰るんですよ? いいですか?」 「うん、それでいい。ちゃんと約束は守るから」  ニコニコと嬉しそうに笑う彼の顔を見ると「まぁいいか」と思ってしまう。……仕方がない。今日だけだ、今日だけなんだと自分に言い聞かせる。 「――私の友達のユウキちゃんはね、結構惚れっぽくて彼氏が常にいるんだ。告白するのはいつもユウキちゃんの方から。『私、あなたが好きなの、大好きなの! きっと、あなたが私の運命の人なのよ』って。好きな人には自分の気持ちをすぐに伝えちゃうタイプの人なの。……でも、分かれるときもユウキちゃんの方からが多いんだ。ユウキちゃんの愛の重さに耐えられなくなっちゃうみたいで、彼女に直接お別れを伝える人は良いんだけど、大抵は別の女の人に逃げちゃうの。で、浮気現場を見たユウキちゃんはこう……鬼のように怒っちゃうの。『どうして私だけ見てくれないの!? 私はこんなにもあなたが好きなのに!!』って。その日はお昼のときに浮気現場を目撃しちゃったから、ユウキちゃん、手に持っていたお弁当を彼氏にぶつけたの。投げつけたんじゃないよ? 手に持って顔に叩きつけたの。こう……バンッ! ぐしゃぁ! って」  私は身振り手振りでその時のことを表現する。……あれは本当、今までで一番すごかった。お弁当の中身が辺り一帯にぶちまけられてそれはもう悲惨だった。浮気相手の女の子もドン引きするぐらい酷かった。私も顔がひきつっていたと思う。ユウキちゃんは激情型だからよく笑い、よく怒る人なんだけど情に厚くて優しい子だからみんなが言うほど怖い人でもない。ちゃんと彼女と向き合えば、彼女がいい人だってすぐに分かると思うのに。私の大事な友達がいつも誤解されててすごく悲しいし腹も立つ。でも、ユートは真面目にあの子の話を聞いてくれる。笑顔で「優しい子なんだね」って言ってくれる。今までそんな人はいなかった。だからユートに何度も話を強請られても私は「困ったちゃんだな」とは思いつつこうして話してあげてるんだろうな。  一通り話し終わると、ユートは満足そうに笑っている。彼はユウキちゃんのお話の中でも特にこの話を好んでいる。どこが彼の琴線に触れたのかわからない。分からないが、この話をした後なら彼もこちらの言う事を少しは聞いてくれるので私としてもありがたい。 「さ、お話も終わったので病院に帰りますよ」 「…………うん」 「はい、そんな顔してもダメですよ! 約束しましたからね!」  まだ未練がましくしょんぼりした顔でこちらを見てきたが、私もぐっとこらえて彼の腕を支えて立たせる。これ以上は本当に無理だ。彼の汗の量も増えてきている。早くしないと帰る途中で倒れてしまうかもしれない。 「ほら、ちゃんと掴んで。遅くなっちゃったから急がないと」  彼に私の腕を掴ませて歩かせる。はじめ、急に腕に抱きついてきたからなんだとビックリしたんだけど、なんてことはなかった。病弱な彼が歩くための杖になって欲しいってだけだった。たしかに彼はいつもふらふらしている。あんな状態でよく病院から抜け出せるなぁと思うが、そこは気合と根性で歩いているんだろう。彼の病院嫌いは筋金入りだもの。夏の炎天下に出てきたがるなんて変わり者はそうそういない。  彼に腕を差し出しながらアスファルトの上を歩く。照り返しがもうすでに暑い。日焼けしそうで眉間にシワがよる。ただでさえ黒くなりやすい肌だっていうのに、これ以上焼けるのは嫌だ。日焼け止めは塗っているけど完全に防ぐことは出来ないからなぁ。世の中には日焼けしにくい人もいるらしい。例えば、隣で歩く色白の青年とか……。横を見れば楽しそうにこちらを見ているユートと目が合った。ユートは目があったことに気づくとニコリと楽しそうに笑った。ユートの肌は焼けるどころか透明感のある白い肌だ。羨ましい。私もユートみたいに色白美人になりたかった。 「……どうかした?」  ユートの顔を見ながら唸っていると彼に不思議そうに尋ねられた。ごまかすのもなんだから「色が白くて羨ましい」と素直に言ってみた。ユートは何が面白かったのか、より一層楽しげに笑う。 「僕は今のヒカリが好きだよ」 「私は嫌だなぁ。小麦色に焼けてて可愛くないですよ」 「ヒカリはいつもかわいいよ」  そう言ってユートは笑う。あの消えそうな、儚げな笑みで。 「うー……」  ユートはいつもそうだ。「可愛い」とか「好き」とか簡単に言ってくる。私が年下の子どもだからからかってるんだろう。彼にしてみれば私は可愛い子どもにしか見えないだろうから。でも、私も女の子なのでそんなことを言われると照れるし恥ずかしい。何度も「止めて」って言ってるけど聞いてくれた試しはない。このワガママボーイは私の言うことを何一つ聞いてくれないのだ。 「……ユートに聞いた私がバカでした」  はぁ、と溜息がこぼれる。本当に手のかかる人だ。そんな人の世話を焼くのも嫌ではないが、私をからかって恥ずかしがらせて遊ぶのだけは止めてほしいなと、心の底から思う。 *  病院ではいつものお姉さんが待っていた。看護師のお姉さんに頭を下げ、二人でユートを連行する。お姉さんはユートをベッドに寝かせると笑いながら病室を出ていった。主治医の先生を呼びに行ったんだろう。 「……もう、これから暑くなるんだから外に出てはダメですからね?」 「それは聞けないおねがいかな。だって、ヒカリに会えなくなるからね」 「何度も言ってますけど、別に抜け出さなくても私が病院まで来ますから」 「……うーん、それじゃあ、意味がないんだよね」  彼は楽しげに笑う。何が楽しいのかわからないけど、私のお願いが届いていないことは分かった。 「…………ねぇ、今晩、会えないかな」 「……え?」  いつも通り荷物をまとめて帰ろうとしたとき、背中に声をかけられた。振り返ると、ユートがいつもの儚げな笑みを浮かべてこちらを見ている。 「今晩……って、今日の夜ってこと? どうしたんですか、急に」 「今日は肉眼で彗星が見られる日なんだ。せっかくだから君といっしょにみたいなと思ったんだ」 「彗星……」  そういえば、何日か前からニュースでそんなことを言っていた気がする。何百年に一度とか、予報では晴れるからきれいに見えるだろうとか。  彗星……彗星かぁ。 「……確かに興味はありますけど、ユートは外に出ても大丈夫なんですか? というか、そもそも外に出てもいいんですか?」 「今も外にでてたよ?」 「無許可ですけどね!!」 「ふふっ、そうだね」  悪びれもなく笑う彼の姿にドッと疲れが押し寄せる。だが、こんなことではへこたれない。彼と付き合っていくうちにこんな事にも慣れてしまった。 「病院の先生がいいっていうなら行きましょう。私も彗星みたいです」 「うん、じゃあ決まりだね。それじゃあ夜に、また会おう」 「は、はい……」  なんとなく釈然としない気持ちになりながらも、私は家へと帰った。  夜。公園に行くといつものように木の下にユートが座っていた。暗い中であの白い病院の服を見ると本当に幽霊のようだ。本人の真っ白い肌と合わさって更に恐ろしげに見える。事情を知らない人がユートを見たら叫んでしまうかもしれない。  幽霊もどきになっている彼は私を見つけると軽く手を上げた。私も手を振り返す。 「おまたせしました、早かったですね――……って、ユート、それは?」 「んー?」  ニコニコしながら楽しげに揺れるユートの手には普段見慣れないものが握られていた。細長い瓶と、流麗な線を描いたグラス。……どこから見てもワインとそのグラスだった。 「え、ユート、お酒飲んで大丈夫なの? っていうか、それどこから持ってきたの!?」 「もう成人してるから、飲んでもだいじょうぶだよ」 「いや、病気の方が大丈夫なのって意味だったんだけど……」 「うふふっ」  ユートはごきげんに笑う。この笑みはいつもの笑みじゃなくてお酒で酔って笑っているだけだろう。私は頭を抱えた。酔っ払いの相手ほど面倒なことはない。父も笑い上戸で絡み酒なのでとても面倒くさい。父なら放っておけば良いんだけど酔っ払ったユートをほうっておくことなんて出来ない。私は頭を抑えつつも彼の隣に腰掛けた。  空を見上げれば遠くの方で薄っすらと光の筋が見えた。流れ星のようで違う、不思議な光。長い帯が遠くまで続くように流れているのはとても不思議だった。 「きれい……」  無意識に、そうつぶやいていた。 「うん、きれいだね」  隣で同じくユートがつぶやく。声につられて横を見れば、肌の青白い儚げな青年が私を熱っぽい目で見ていた。 「ユート……?」  いつもと同じに見えて違う、熱のこもった目に戸惑う。彼のこんな顔は初めて見た。いつもはもっと気だるげだったのに……。 「ね、ヒカリ。僕のものになってよ」  ――彼は徐に、そうつぶやいた。 「……え?」 「他の人を見ないで、僕だけを見て。他の人と話さないで、僕だけと話して。ずっと僕の隣りにいて、ずっと笑っててほしい。他の人に渡したくない。僕の腕の中にいて? ずっとずっと、二人でいよう、ね?」 「ゆ、ユート……?」  何かの聞き間違いかと思ったが、彼は私の反応なんて関係ないというように言葉を続ける。言葉にも瞳にも熱がこもっていく。  ――頭の中で警鈴が鳴り響く。このままではいけないと本能が告げる。 「あ、あのね、ユート、ちょっと落ち着きましょう? ずっと一緒には無理だって、前にも――」 「――もう、長くないんだ」  ……急に、声に熱がなくなった。感情の籠もらない平坦な声。聞いたこともないような、冷たい声。あまりの変わりように続けようとした言葉が消えた。 「僕の病は治らない。今は延命治療しているだけ……。先生は『保って数年だろう』って言ってる。僕もそう思う。……ね、少しの間だけだから。僕が死ぬまでの間、僕のものになってよ。僕が死んだら君を開放するから」 「…………」  ね、おねがい。そう言って彼は笑う。いつものように困ったようなしょげた子犬のような顔でおねだりをする。私の頭はいっぱいいっぱいでそれどころじゃないっていうのに、彼はいつもと変わらない。 「ね、可哀想でしょ? 数年も生きられないなんて、いつ死ぬかわからないなんて、とっても可哀想だよね。だから同情してよ、『かわいそう』って。『見てらんない』って。いつもみたいにそう言って? 君は『可哀想な僕』を放っておけないでしょ? だって君は優しいもの。こんな僕に声をかけてくれる、こんな、クズで、無価値で、なんの意味もない僕に笑いかけてくれるんだから……」  いつの間にかユートが私の手を握っていた。熱い、焼けるように熱い。お酒を飲んでいるからなのか、彼のうちに秘めた激情が身を焦がしているのか、私にはわからなかった。 「ねぇ、僕のものになってよ。僕とずっと一緒にいよう?」  ――おねがいだから。小さく聞こえたその声は、今にも泣き出しそうだった。 「…………。」  私は俯きぎゅっと拳を握る。まだ良くわからないことばかりだけど、彼の言葉が本気だって分かるから。私だってちゃんと彼に言わなきゃいけない。  意を決して顔を上げれば、弱々しく笑うユートと視線があった。 「……いいよ、ユート。私がずっと、そばにいてあげる」  私の方から彼の手を両手で握り返す。震える指先を包み込むように 「でも、私は諦めないからね。ユートが諦めても、私はユートと生きることを諦めない。黙って死を待つなんてそんなの私のガラじゃないもの。それにね、ユートは『クズ』でも『無価値』でもない。ユートはユートだよ。子どもみたいなワガママを言って困らせて、私をからかって遊ぶワガママボーイで。でも私の友達のことを悪く言ったりしないし、私のことを気にしてくれる優しい人だよ。人の痛みがわかる人。そんなユートだから、私はそばにいたいって思う。『可哀想』だからとか、『見てられない』からじゃ、ない。私は同情でユートのそばにいたりしない。私はユートと一緒にいたいから一緒にいるの」 「ひ、かり……」  ユートは今にも泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。私は湿っぽい空気を払うため、わざとらしく咳払いをする。 「それに、前にも言ったでしょ?『お世話を焼く』って決めたって。『ダメ人間製造機』をなめないでよ? あなたにちゃーんと健康的で文化的な生活をさせてあげるわ!」  腰に手を当ててニヤリと不敵に笑う。そんな私を見て彼はキョトンとした後、クスクスと忍び笑いをした。……もう、いつもの彼に戻っていた。  彼の手から奪ったグラスを静かに空に掲げる。透明なグラス越しに見る彗星は、手の届かないはずのものを閉じ込められたような気がして奇妙な満足感があった。なんだかおかしくなって少し笑いながら隣を振り返ると、幸せそうに笑う彼がいた。 「――だいすきだよ」  目を細めて笑う姿は、夜空に流れる彗星よりきれいだった。
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