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拉致
銃声が止み、辺りは静まりかえった…
月子は痛みと恐怖で体を動かす事さえ出来なかった。
朦朧とする意識の中、幻でも見ているのか傍らには何故か大きな犬がいて私に寄り添っている。
犬の体温が温かく心地よい
そのまま意識が遠のいていった。
気がつくと病院のベッドにいた。
隣りで芙美が私の頭をさすりながら泣いていて、意識を取り戻した事に気がつくと私に抱きついた。
私は海上に浮かぶクルーザー船の甲板で倒れている所を海上保安庁の巡視船に救助された。
クルーザー船からの遭難信号をキャッチした巡視船が救助にきたらしい…
船室からは首をへし折られた三体の遺体が見つかった。
クルーザー船の船内から工作活動の証拠物が見つかると大騒ぎになり、今井哲は誘拐に加えテロの重要参考人として指名手配された。
芙美の脇には義理の兄である水上司が腕を組みいつも以上に難しい顔をしていた
「月子 一体何があった?」
司の言葉を無視すると月子は
「今井先生は無事なの?」
と開口一番に芙美に尋ねる。
「月子…あなたはアイツに騙されているのよ。」
芙美は泣きはらした顔で月子に答えた。
「今井は海外から来たテロリストだ
おまえは危うく拉致されそうになったんだよ。 ヤツらが仲間割れしなかったら
おまえは連れ去られていたんだぞ。」
「違う 違う 先生は私を庇って銃で撃たれたの…」
駄々をこねる子供の様に月子は叫んだ
「いい加減に目を覚ませ月子…
アイツは善良な教師なんかじゃない
仲間3人を殺して、逃亡している殺人犯のスパイだ。
詳細は捜査中だが、アイツが日本人の
今井哲ですらない事は事実だ。」
「先生は生きているのね?」
2人の言葉に耳をかさず、今井の安否ばかり気にする月子に司は苛立った様子で病室を出て行った。
入れ替わりで事情聴取のため男女2人の警察官が入ってくる。
月子のいる病室の前には常に警察官が立っていた。
水上司の表の顔は会社の経営者だったが実は公安の幹部だったからだ。
未遂に終わったが、海外のテロリストが公安幹部の家族を拉致しようとした事件は警察組織に大きな衝撃を与えた。
事件の重大性と公安の機密保持の為に事件が公になる事はなかった。
事件は犯人グループの目的も正体も分からないまま幕を閉じる事となる。
事件から4日後に10発以上の弾丸を身体に受けた今井先生の遺体が海岸に打ち上げられた…
私はその3日後に退院となった。
病院から事件当日に着ていた制服と一緒に先生のブレスレットが返ってきた。
たぶん先生が私に託したのだ…
最後の最後に今井先生は私に自分の正体を見せてくれた。
ソレはとてもおぞましく、見るに耐えない姿だった。
でもソレは先生が必死に生きてきた証だった。
私はその醜い姿すら愛おしいと思った…
重ねてしまったのかも知れない
どんなに他人に蔑まれようと、なりふり構わず私を育ててくれた芙美と…
私は怪物だった
芙美も先生もそうだった
でも私は思う。
必死に足掻く人間を痛めつけて喜ぶ人間の方がよほど怪物に見えた
本当の名前も知らない今井先生を
私は絶対に一生忘れない。
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