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それからも彼は毎日、窓の前に――私の世界に現れた。
そして雨音がする日にはいつもよりもほんの少し長居をしていった。
「最近、外がにぎやかね。なんだか楽しそう」
「あぁ、恋の季節ってやつだ。気が立ってるやつらばかりで敵わん」
「今日は日射しがあってお昼寝日和だったわね」
「あの暑さでか? 溶けるか茹で上がるかしそうだった」
「葉がずいぶんと色づいてきたわね。とってもきれい」
「あれは赤くなっても少しも美味しくならん」
「あら、雪。白くて、ふわふわしていて、歩くのが楽しそう」
「積もらなきゃいいが。踏むと冷たくて肉球が凍りそうになるんだ」
一言二言交わしては互いに顔を見合わせて首をかしげる。そして、それじゃあ……と、言って別れる。
彼と別れてからしばらくして、ふと彼とのなんだか噛み合わない会話を思い出して尻尾をゆらりと揺らす。
そんな日々が一年ほど続いたある日、激しい雨に立ち往生した彼がまた窓の前に――私の世界に長居した。
庭に下りるための石段の上で彼は濡れた体を毛づくろいしていた。私はお腹にだけ生えている白い毛をじっと見つめていた。
「濡れねずみに興味があるのかい、白猫のお嬢さん」
彼が黒い尻尾をゆらりと揺らして黄色い目をこちらに向けた。
私はゆっくりとまばたきした。一年前の会話を彼も覚えていたらしい。
「濡れねずみに興味はないわ。でも、濡れ猫さんの世界に少し興味があるの」
白い尻尾をゆらりと揺らして私は艶然と微笑んだ。
「興味があるなら窓の外に出てみりゃあ、いい」
彼はそう言って私をじっと見上げた。
窓の内にいる私を、じっと――。
「そうね」
私は答えて彼をじっと見下ろした。
窓の外にいる彼を、じっと――。
窓の外に――彼の世界に飛び込んで行ったら何が待っているのだろう。
気が立っているよその猫たち。
溶けるか茹で上がるかしそうな暑さ。
赤くなっても少しも美味しくならない葉。
踏むと肉球が凍りそうになる雪の冷たさ。
会話に出てくることもなかった彼にとっては当たり前の出来事や光景。
噛み合わなかった彼との会話が噛み合って。
〝えぇ、本当にそうね〟――と、彼に向って頷いて。
〝窓の内にいた私はこんなことも知らなかったのよ〟――と、彼に向って微笑みかける。
そんな未来が待っているのかもしれない。
目を細めて、彼のお腹にだけ生えた白い毛を私はじっと見つめた。
そして、ゆるゆると首を横に振った。
「やっぱりやめておくわ。いなくなったり、事故に遭ったり、ましてや死ぬようなことがあったら家族を悲しませてしまうから」
「そうか、悲しませちまうか」
彼は窓の内に目をやった。彼の視線を追い掛けて私は振り返った。
そこにいるのは人間たち。体の大きさも、生きる時間も、言葉も、私や彼とは違う。でも、私の家族。
「家猫ってのは窮屈だね。うっかりいなくなることも、事故に遭うことも、ましてや死ぬこともできない」
彼の言葉に私はパチパチとまばたきした。
「何言ってるの? 野良猫も同じよ。あなたがいなくなったり、事故に遭ったり、ましてや死ぬようなことがあったら悲しむわよ?」
「……誰が?」
「私が、よ」
だって庭に面した窓の前で彼がやってくるのを待つ時間は、日差しにお腹を向けて眠ったり、風を子守歌にまどろんで、雨音が激しくなって彼が窓の前に――私の世界に長居しに来てくれるのを待つ時間は私にとってかけがえのない日常だから。
「そうか」
でも――。
「なら、もうここに来るのは良そう」
彼はゆらりと黒い尻尾を揺らして立ち上がると、止める間もなく激しい雨の中へと駆け出していってしまった。
それきり。
彼が窓の前に現れることはなくなってしまった。
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