翠雨〜翠の歌〜

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〜驟雨〜 翠は気だるい体を引きずって街の小さなスーパーに出勤した。 ここのスーパーはオーナーの趣味からか店内に音楽の新人番組が流れている。 この番組はいろいろな新人の曲がピックアップされて流れているのだが 中には大手レコーディング会社の契約がもらえる人もいる為 人気の高い番組だった。 翠がここのバイトが続いている理由に この番組を聞きながら仕事ができるというところはあった。 誰にも打ち明けた事はないが翠の曲もここで流れる事がある。 投稿型だから誰にでもチャンスはあるのだ。 ある日、バイトの休憩時間にいつものようにお弁当を食べながら イヤホンで曲のチェックをしていた翠の隣に 驟空(しゅうあ)という名前のバイトの子が腰掛けて話しかけてきた。 「何聞いてんスか?」 少し戯けたような言葉使いには抑揚がある。 綺麗な顔立ちは生活感のない異次元のもののようだ。 翠は自分の生活感に塗れた顔を見られないように髪から顔を出さずに 俯いたまま聞こえないふりをした。 すると、ぷっとイヤホンのコードが引っ張られ耳から抜け落ちたのを感じ 思わず抜かれたイヤホンの行方を追って顔を向けてしまった。 突然目に入った人間のものとは思えない美しい肌に凍りつく翠の横で 驟空は手にしたイヤホンを耳にセットしている。 翠は唖然とした。 頭を少し傾けてイヤホンをセットする仕草は長い指が強調され サラサラの髪の毛は子供の髪のように生まれたての艶を帯びている。 目に映るままに見ていた翠だったが、突然驟空の近くにいる自分を思い出し 息をするのが怖くなった。鼻から息を出す事をはしたなく感じ 口から息を出そうとすると喉が詰まる。必要以上に肩は上がる このまま窒息するんじゃないかと、一変した世界でワタワタし始めた。 いっその事イヤホンなどくれてやると心の中で決心し脱走しようとした瞬間 「大丈夫?」 驟空がふわっと翠の肩を軽く包んだ。 翠はそのままホールドされ、カッチコチに固まって 小さく座るしかなかった。 その間にもイヤホンから曲は流れ続けていた。 「この曲、誰の?」 翠は犯罪者が自白するように 「私の・・曲」 と、声を絞り出した。 驟空はとてつもなく驚いて 無言で翠を見つめた。 そして外人に日本語で話すように ゆっくりと分かりやすく 「今、聞いてる、この曲を、作ったの?」 そう言って手首をひっくり返した状態で翠を指差した。 翠が驟空と目を合わせないまま、こくりと頷いたのを見届けると 「まじか」と一言発したのだった。 いたたまれなくなった翠は、告白した事を恥じた。 沈黙の中、タイミングよく曲も終わった。 イヤホンを勢いよく引っ張って強制的に回収すると 慌ただしく片付けて仕事に戻っていった。 戻って行きながら、明日から仕事に行きたくないと心から思った。
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