イヤホンが壊れた日

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 ノイズキャンセリングイヤホンが雨の日に壊れていると、私の仕事のアウトプットはどうも目に見えて落ちるらしい。 「雨音が辛いなら、今日はもう上がっていいですよ」 「というか帰れ。体も心も健康が一番だ」  職場の同僚と上司がそんな趣旨のことを言ってくれ、私は大分久しぶりに仕事を早退した。壁を隔てていても聞こえてくる、激しい雨音。それに起因する頭痛がひどすぎて、ずっと眉間に皴が寄っていたから、気を遣われたのもあるだろう。  小さい零細企業ではあるが、ありがたい職場である。単純に仕事が進んでいないのに業を煮やしただけかもしれないが、少なくとも表面上はとても優しくしてくれる。  私はそんな善意を無下にすることなく、真っすぐ駅近くの電気屋に突撃し、壊れた物より型が少し進んだイヤホンを購入した。来月のクレカの請求が少しだけ怖くなるが、必要経費だ。  電気店から出ると、バタバタバタと雨音が耳を突き刺してくる。頭痛が増す。ここ数日、一日数時間は雨が降っているので、正直しんどい。  本当はイヤホンがない状態で外を歩きたくはないのだが、予報では今日はこの後、かなり長時間降るようなので我慢するほかない。もちろんイヤホンそれ自体を耳に突っ込むだけでもある程度効果があるが、充電しないと肝心要のノイズキャンセリング機能を使えない。  電気店から駅まで屋根がついているので、傘を差すまでもなく駅舎の中に入る。むわっとした熱気が肌を撫で、次いで汗臭い匂いが鼻に届く。豪雨に耐えきれなかったホームレスが入ってきていた。  何人かのホームレスが耳を塞ぎながら、床に身を横たえている。身を震わせている者もいる。そんな人たちを邪魔そうに見る人たちもいるが、流石に叩き出そうとする人はいない。豪雨災害の頻発は人の心を変えた。雨に対する恐怖症で苦しんだり、働けなくなった人たちは、この時代、それこそ掃いて捨てるほどいる。  1人のホームレスと目が合った。その人の顔つきから年齢が自分とそう変わらないことが判断でき、私は思わず目を逸らしてしまう。  苦々しい気持ちになりながら、なるべく他人のことを見ないように、駅舎の中をゆっくりと移動していく。改札の中をちらりと見ると、大雨の影響で電車に遅延が出ていて、改札を通過した先はとてつもないことになっている。床が抜けるのでは、という恐怖を少し覚えるぐらいだ。  掲示板を見るとしばらく電車は動かなさそうで、しかし、皆雨に濡れたくないのか、駅舎の中に留まっている。駅に入ってくる人は大勢いて、かつ、はけることはないのだからどんどんと人が増える。じんわりと脇の下に汗が滲むのを感じた。絶対に外の空気より5℃は暑い。  駄目だ。一度外に出よう。私はそう判断し、改札から離れる。しばらくなら頭痛も我慢できなくはない。人の間を縫うようにして、駅舎の外に出る。どこに行くか考えながら持っていた傘を差し始め、差し終わる頃には雨宿りに使えそうなポイントを頭の中でいくつか選べていた。  数百メートルほど移動し、私は雨宿り場所として選んだ、コンビニの中を観察する。イートインコーナーは幸いまだ少し空席がある。すぐに中に入る。電車が動くまでここに籠城させてもらおう。顰蹙を買わないぐらいに、だが。  女児向けのアニメのキャラクターが店内放送をしている中、私は菓子パンを手に持った。店内は冷房が効いているものの、湿気までは消しきれておらず、床も泥で汚れている。店内放送の調子と、現実の店の汚らしい状態とに大きな落差があり、そのことに妙にいらついてしまう。  何となく雑誌コーナーも確認する。週刊誌なんてもう何年も買っていないが、暇を潰すのにスマホだけでは何だか物足りない。雑誌コーナーに行くと、全ての雑誌がビニール紐やテープで、中身を読めなくされていた。大学生の頃ぐらいまでは普通に立ち読みできていたのだが、と時代の流れを感じつつ、私は表紙を見ていく。何でもいい。時間を稼げればどんなに俗っぽい物でも構わない。  多分週刊誌業界では、中堅どころぐらいを占めるであろう雑誌の表紙にかつての妻の名前を見つけたので、少し迷った後に私はそれを手に取り、菓子パンと一緒にレジに持っていく。会計を済ませて私が向かった時、イートインコーナーの空き座席は1つだけになっていた。  椅子に座り、菓子パンの袋を開けるだけ開け、週刊誌の封をしていたテープを剥がす。横にいる客が少し嫌そうに身をよじったのが分かる。眼だけ動かしてそいつの様子を見ると、スーツを着ているので私と同じく勤め人なのだろう。  すみません、という言葉が口から出かけたが、文句を言われる筋合いもないので、そのまま放置する。元妻の書いているコラムを探し出すのにそう時間はかからなかった。  全く知らなかったのだが、今の彼女は防災系の情報を発信しているライターをやっているようで、特に豪雨災害に対する備えについて詳しいらしい。著者に関する簡単な紹介文にそう書いてある。私と離れてから存分に活躍していたらしい。昔の妻の姿から、ライターという職業が、うまく結びつかなかった。  雨の被害を軽減するためのハウツー、や、入るべき保険、万が一巻き込まれた場合の対処方法。そんな内容。雑誌にわざわざ記載しなくとも、今や国中の人間がネット経由で知っているような情報。辛辣かもしれないが、これでは紙面を空白にしない以外の意味はないだろう。雑誌というメディアの衰退を感じざるを得ない。危うく鼻で笑いそうになった。 『特に、これから新築戸建てを買おうとしている方は、一にも二にも最初に確認すべきは、ハザードマップです』  その一文も他の人間が読んだら、それほどの印象を与えなかったことだろう。だが、私に限って言うならば、それは苦い記憶を呼び覚ませる一文になった。  元妻と私との関係は結婚式を行った時点が最高で、そこからは延々と下り坂ではあった。だから別れること自体はいつか絶対に来る運命だったろう。  それでもやはり破滅のきっかけとなった事件を、どうにかして避けられなかったのか、悔やむ時はある。  あまり稼ぎのない自分に対して、実家が浸水したことのある元妻が、安全な土地に家を持ちたい、という至極当たり前の要求をしてきた時、快諾することができていたら、少なくとも別れの時期は遠ざかっていたことだろう。  発生するであろうローン、当時の手取り、将来性、自分の最終学歴。そんな色々な面で自分が、そんなわけもないのに元妻から糾弾されているような気がして、悔しくて。  その悔しさを抱いたまま、応対したのがまずかったのだ。その時に私が彼女に対して何を言ったのか、今となってははっきりと思い出すことができない。人間、惨めすぎる記憶は思い出せなくなるのだな、と私はこの出来事から学んだ。  そのことがあってから1月も経たない内に、彼女は家を出ていった。せいせいした部分も、ある。私なんて、実家が浸水どころか流されてしまったことがあるのだから。  私のことも慮れよ、というのがその時の本音で、今でさえそう思うことも多い。  そんな過去に心の中で痛みを覚えていると、背後からわざとらしい咳払いが聞こえる。振り返ってみると、若い男女がこちらを睨んできていた。まだ10分ぐらいしか座っていないのにそんな目を向けられる謂れはないぞ、と思ったが、明らかに女の方の顔色が悪いことに気づく。  どうも私よりも重篤な雨恐怖症らしい。  そして今の社会ではその手の恐怖症に苦しむ人たちは、丁重に扱うのがマナーだ。渋々椅子から立ち上がる。女の方は私に対して会釈をしてきたが、男の方は舌打ちしてきた。彼女の前でいい格好をしたいのは分かるが、その態度はないぞ、このガキ。立たなければよかったと後悔した。  いつまでもイートインコーナーに突っ立っているわけにもいかないため、私はコンビニの外に出て、再び傘を差す。雨音は先ほどより強くなっていた。まだまだ雨は止みそうにない。    近場で雨をしのげるならどこでもいい、という考えと、どうせなら心の疲れを癒したいという考えが合体して、私は数年前にできたタワーの展望室にまで昇っていた。  好景気の発想を不況の時代になっても引きずって完成したタワーの中は、多少入場に金がかかる分、人が少なくて落ち着いている。私は円形展望室の、中心に近い方の壁に設置されている長椅子に腰掛ける。  最新の技術で作られたタワーということだったので、雨の日でも街並みを見渡せるのでは、と期待していたのだが、人類のテクノロジーもこの豪雨の中ではなす術がないのか、視界はほとんどゼロに近い。  雨音が聞こえないだけでもまあまあ楽だ、と思い、スマホを見ると、冠水や、路線の遅延情報などがSNSに次々と上がってきている。当たり前だが苦しんでいるのは、私だけではなかった。でも、その事実が私の苦しみを癒すわけでもなかった。  ぼんやりと雨に濡れ続けるガラスを見やる。  私の通っていた高校は山の上に建っていた。よく下界を神になったつもりで見下ろすことができ、まるで自分が特別な存在になれたかのような気がして、それは中々爽快な体験だった。  そういった、遠く地上を見下ろせる体験を再びすれば、少しは今の陰鬱な心も晴れるのでは、と思ってここに来たのだが、とんだ期待外れだ。  もう一度見たい、あの景色は最早ないのだ、と当たり前の事実を再認識する。というよりも母校自体が、もうない。山の上に建っていたのが災いし、豪雨による土砂崩れが起きた時に校舎の大半が使用不能になってしまい、少子化の影響も直撃し、そのまま廃校と相成った。  結構大きなニュースになったため、報道ヘリが撮影した映像から、母校の様子を見たこともある。校舎丸々一棟が、それが建っていた地面と共に無くなっていて、まるで巨人の手が空から学校を抉り取ったかのようだった。  実家は流され、思い出の場所も光景も、幸せな家庭もない。雨が降ったら健康すらも害される。 「やってらんね」  呟いてしまう。人生がこんなに苦しくなるなんて、若い時分には思わなかった。  雨が一層激しさを増してきた。厚さ何センチあるか分からない強化ガラスが守ってくれているから、音は聞こえないのだが、それでも降り方が強くなったという事実だけで気分は落ち込む。  目を開けていると、雨が降っているという現実に向き合うことになるため、目を閉じる。最近夜になっても聞こえる雨音のせいで、寝つきが良くなかったのも相まってか、すぐに眠くなってくる。私は財布の入っている鞄を改めて持ち直した。  タワーに上っているせいか、夢の中では、雲の上まで伸び、雨に悩まされることのないタワーが出てきた。  そのタワーを私はエレベーターで悠々と昇っていく、いや、気がつけば階段で地道に一段一段昇っていた。自分の足で、自分の力でどこまでも昇っていく。視界のすべてを青色が占め、それがとても綺麗で、いっそ熱すぎる熱を伝えてくるお日様だけが唯一その光景の中で浮き出ているが、そのことを不愉快に思うはずもなく、何より自分を脅かすものが何もない。  眺めも最高で、高く上がれば上がるほど、地球の丸みが分かった。真っすぐに伸びた水平線も見え、地に這いつくばるような生活しかできてこなかった私は、夢の中で久方ぶりに笑うことができる。  そんな楽しいけれども都合の良すぎる夢を咎めるかのように、いきなり周囲が暗くなった。現実世界だ、と夢の中の私は気がつき、そこで目が覚める。展望室の中の照明が落ちていた。  物凄く厳しい節電要請でもあったのかと、突拍子もないことを考えたが、すぐにタワーのスタッフ、恐らくはバイトであろう、いかにも場慣れしていなさそうな子が出てきて、声を張り上げ始めた。 「近くの変電所で落雷による火災が起きたとのことで、電力の供給が一時的に止まっております。現在予備電源の準備をしております。エレベーターが動き次第、順次地上へと案内しますので少々お待ちください」  なるほど、停電か。今日は随分とついていない日だ。またしても眉間に皴が寄るのを感じながら、さて、どうやって暇を潰そうか、と考え始める。鞄から先ほど買った雑誌を取り出して、開いてみたが、残念ながら字を読むのも苦慮するぐらいだった。  雑誌をしまってしばらく待ってみる。スマホのバッテリーも残り少ないので、いつ出られるか分からない状況では、あまり無駄遣いはしたくない。しばらくじっとしていたら、子供の泣き声が聞こえてくる。ずっと母親がなだめていたが、とうとう暗闇に耐え切れなくなったようだ。  いけないことだが、雨やら予期せぬ停電やらで、私の心にも余裕がなくて、ついイライラとしてしまう。  私は立ち上がり、移動する。イライラするのは駄目だ。さっさとストレスの元から離れないと、妻との一件のように、足下を掬われかねない。出来るだけ自分の心と体をベストな状態に保っておかないと、私みたいな人間はあっさりと自分の人生を崩壊させてしまうのだ。  適当に歩いていると、いつの間にか地上に通じる階段の前にたどり着いていた。  階段を見ながら、しばらく考える。絶対にきつい。確か段数は500ぐらいあったはずだ。  でも、疲れ切ったら頭の中もいい感じに空っぽになるかもしれない。無駄なストレスも頭の中から追いやれるような気がした。  私は振り返って、展望室の中を見る。まだ電源が回復しそうな雰囲気はない。眼の中に入る人達全員がむっつりと黙り込んでいる。陰の気が場をはちきれんばかりに、満たしている。本来予備電源はすぐに発動するはずなのだろうし、するべきなのだが、トラブルでもあったのか、バイト君はしきりにイヤホンマイクで、恐らく地上と連絡を取っている。  まぁ、偶には運動もしてみるか、と観念し、私はスマホで階段を照らす。足下を照らす照明だけなら、地上までは十分バッテリーももつだろう。暗闇に支配された階段を、私は慎重に下り始める。  だが、5分後、私は自分のバカさ加減を呪っていた。  若い時の体力はもうないという事実を、都合よく忘れていた。呼吸が苦しい。足の筋肉が強張っている。ワイシャツが皮膚にぴったりと汗で貼りついていてとてつもなく不快だ。  おまけに膝も痛い。すごく痛い。さらに最近全く運動していなかったのも相まってか、ちょっと吐き気まで感じ始めている。 「ただ下るだけなのに、こんなに疲れるんだな…」  呟いて、そしてその後まるで人生みたいだな、と心の中でまで呟いてしまい、一層気持ちに影が差す。スマホの照明しかない暗闇の中では、どうしても頭の中まで暗くなってしまうようだ。  先ほどの夢の中に出てきたような、嫌なことが何もない雲の上に到達するような力は、最早私にはない。いや、もしかしたら最初からなかったのかもしれないが。とにかく、私の後の人生は、今の自分がやっているようにただただ下るだけなのだろう。  降雨のストレスに起因する症状も、恐らく強まることはあっても弱まることはない。それどころか、加齢という要素も加わり、健康というもの自体が、延々とまるで櫛の歯が欠けるかのように次々と失われ続けるのだろう。  妻は帰ってこない。新しい異性と積極的に繋がりを持っていく気力もない。  仕事だって鳴かず飛ばず。でも、やりたいことなんてない。  階段を下る、かん、かん、という音が耳を何度も叩く。自分の生活上でも、聞こえないだけで、実は下りの音が本来鳴っているはずだ。  実際に聞こえていなくて良かったと思う。雨の音だけでも生活がきついのだから。膝の痛みがさらに増してくる。上りより下りのほうが、膝にかかる負担は大きい。  そんな考えや、痛みという現実に頭が一杯になっていたことが悪かったのだろう。若干動きに乱れが生まれ、それまでの疲労の蓄積も作用したのか、足が段の端っこの方を踏んでしまう。  私の前にも誰か濡れた靴でここを通っていたのか、階段は雨の日特有の泥で汚れていた。私の靴の裏も泥で汚れていた。  滑るのは必然だった。 「あ! っぶぁ」  咄嗟に、危ない、と言う言葉が口を出ようとしたが、実際に出てきたのは無様極まりない、言葉とも言えない音だった。手すりを持とうとした手は、しかしあと少しと言ったところで持ち損ね、空をかいてしまう。上半身、体幹の筋肉があったら、もしかしたら耐えられたのかもしれない。残念ながら学生時代と違って、私の腹は腹筋ではなく脂肪で埋まっていた。  1秒後、私は踊り場に胴体着陸してしまっていた。痛い。内臓破裂。そんな言葉が脳裏をちらつく。数秒間ぐらい、ショックで動けなかったが、落ち着いてきたところで全身の軽いチェックを始める。手足に感覚あり。腹部、内臓だけは心配だが、打ち付ける寸前に何とか床に、空いている方の手をつけていたのが功を奏したのか、徐々に痛みが引いてきた。 「しっかりしろ」  よろよろと立ち上がりながら、私は自分で自分に言い聞かせる。下りは楽じゃない。重力に従っているけど、上りと同様、膝も痛くなるし、事故も多いのだ。  降りるだけでも一苦労なのだ。さっきも考えた通り、それは、人生だって同じだ。  老いていく体、いない家族、少ない貯金、雨が降るたびに感じる頭痛。  これらのおもりを前提に、私はこれからずっと下っていかなければいけないのだ。  新しく手に入るものは、ない、仮にあったとしても少ない。昔やっていたゲームのように、都合よく仲間やアイテムが手に入るわけはない。  そして上手く下れなかった時に、被害を受けるのが自分一人だけとは限らない。今だって、偶然周りに人がいなかったから良かったものの、誰かを巻き込んでいたかもしれない。  他人のことなんて、心の底では正直もうどうだっていいが、下手に被害を与えて、怨みを買うのはごめんだ。  立ち上がって、歩を進める。痛みを歯を食いしばって耐えながら、10分ほど下り続け、私はタワーからようやく出ることができた。傘を差しながら周囲を観察すると、電源はまだ回復していないようだった。上のスタッフの苦労が偲ばれる。  雨はまだ降り続いている。雨音が耳を突き刺して、頭痛がぶり返してきた。それでも、下っている最中に見たSNSで電車が動き出したことを知っていたので、私は駅に向かうことにした。  一刻も早く家に帰ろう。そして、イヤホンをさっさと充電しよう。  とにかくすぐにでも自分を脅かす存在から距離を取るのだ。  一時的にでも忘れて、美味しい物でも食べよう。そうして、自分の心にかかっている負荷を下げる。痛みを、誤魔化すのだ。立ち止まりそうになる自分の心を守らねばならない。  雨音に対して耳を塞ぐという行動そのものに、何とも言えない気持ち悪さを少し感じる。だが、それがベストな行動なのだ、とその気持ち悪さを自分の中で噛み殺す。  この、ただ生きていくだけでも厳しい世界では、立ち向かうことが、絶対の正義ではない。多少筋が悪くても、使える手段はどんどんと使っていこう。そうしながら、何とか他人に迷惑をかけない程度には、人生をこなしていかなければいけない。  傘の隙間から空を見上げる。相も変わらず、灰色の雲が視界の端から端まで、ずぅっと覆っている。  雨はしばらく降り続ける。私はそれと、上手くお付き合いしていくほかないのだ。
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