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私は初めてのカラオケを心ゆくまで楽しんだ。
これだけ長いこと歌ったのは初めてだったのに、不思議と喉の調子はいいままだったのは、萩本くんが定期的にフリードリンクを追加注文してくれたおかげだろう。あとポテトチップスやらフライドポテトやらを頼んでくれた。てっきりお腹が空いたのかなと思っていたけれど、萩本くんは私にも真面目な顔で勧めてきた。
「あんまり歌い過ぎると本当に喉が駄目になるから、水分補給と喉に脂足したほうがいいよ」
「……多分それ、都市伝説だと思うけど」
「とりあえずマイク入ってはしゃいでいるのはわかるけど、適当に喉休めてお菓子食べてて」
そう言われたら、私も渋々休憩して、ポテトチップスを食べながら温かいお茶を飲んでいた。てっきりお菓子休憩を取ったら、開いた喉の奥が閉まってしまうかなと思ったけれど、適度な休憩は喉を労ってくれて、また歌うことができた。
でもフリータイム終了のベルが鳴り、私たちは渋々退散することになった。
「……楽しかった」
ふたりで割り勘で会計を済ませてから、私はそう言うと、萩本くんも「うん」と頷いた。
「すごく楽しかった。やっぱり山中さんのウィスパーボイスは、こういろいろ惜しい。今度コラボする?」
「コラボって……私、そんな大した歌い手じゃないよ?」
「謙遜しなくってもいいよ。本当に上手いんだから……でも、山中さんが嫌なら、やめておく。こういうのって、自分が納得しないと駄目だから」
「ええっと……考えておく」
最後に私たちは、スマホの通信アプリのIDを交換して、お別れした。
思えば、学校の子とこうして遊んだのは初めてだったし。そもそも男子と一対一で遊んだのも初めてだった。
「思っているより、いい子だったなあ……」
そうしみじみと思うのは、どうも同年代の男子は、しゃべりまくる男子はデリカシーがなく、しゃべらない男子は常に不機嫌という印象しかなかったから、どちらともお近付きになりたくないという感想しかなかったから。
高校に入って、人数が多過ぎて顔と名前が一致しない男子にプリントを配るためにどこに誰がいるのかと途方に暮れていたら、それを嫌でもわからされたような気がして、余計に苦手意識が募っていた。
萩本くんは常にマスクを付けているし、先生にマスクの色で怒られているのを目撃するけれど、それ以外は苦手意識はそこまでない。多分彼はデリカシーに欠ける押しつけがましい言動もしないし、常に自分で自分の機嫌を取っているから、怖いって感じがしないんだろう。
「多分、いいことなんだよね」
いつも教室にいると居心地が悪かった。未だに名前と顔が一致している人がわずかな中、誰かわからない人に声をかけられても困るし、それを訴えると「人に興味がなさ過ぎ」と一蹴されてしまう。本当に困っているのに。
でも、これで顔と名前がわかる人が増えた。それだけで、少しだけ心が落ち着いた。
****
家に帰ってから、私は今日のアプリではなにを歌おうかなと考えていた。最近の流行曲はどんなもんだろうと、適当に見ていたとき、自分のアカウントにアップしている動画が、どれもこれも閲覧数がおかしいことになっているのに気付いた。
それどころか……フォロー数が異様に増えているような。
「あ、あれ……?」
どんなに調子がよくても二桁止まりで、最高で三桁だった私の動画の閲覧数が、それぞれ五桁以上になっている。こんなことは初めてだ。
誰かが見つけてくれたんだ、嬉しい。より先に。
「……え、怖い……」
誰にも見つかっていないのが普通だった私からしてみたら、不気味にしか思えなかった。なんでだろう。誰かが私の動画の宣伝でもしているの?
アカウントはフォロー数が一定数増えると、余計なことを言ってくる人と鉢合うとは誰かが言っていた。フォロー数イコール自分に向けられた銃口の数だと言っていた人は、アプリやSNSも、世間一般と同じく必ずしもイエスマンばかりが寄ってくるんじゃないと知っているんだろうな。
困ってコメントをそれぞれ眺めていたら、見つけた。
【カズスキーさんの動画から来ました】
【優しい歌声ですね、素敵です】
【いい歌ですね。これからも応援しています】
「……萩本くん、宣伝してくれたんだ……」
おそるおそる【カズスキー】さんのアカウントを覗きに行ったら、たしかに最新動画が出ていた。
「すごく歌の上手い人を見つけました。【カイリ】さんです。そのウィスパーボイスは滅多に出せるものじゃないですし、よく伸びてとても綺麗な歌声です。自分と一緒に応援してくださいね」
あまりにもの温かい言葉に、私は思わず首を振ってしまった。
そこまで大したことないし、そこまで持ち上げなくっても。でも。これだけいろんな人に聞いてもらったのに、それを卑下したらそれこそ失礼になりそうな気がするし。
結局私はなに歌おうと考えた結果、今日のカラオケで歌った曲をアップすることにした。
【カズスキー】さんに対して、なにか言ったほうがいいんだろうか。でもこれは萩本くんが善意でしてくれたことだから、ここで調子に乗っていると思われても困るし。
閲覧数がいきなり増えたことについては、なにを言ってもおかしなことになりかねないからと言い訳して、結局私は録画した動画の中でもなにも言うことはなく、そのまま流すことにした。
私ごときなんて自虐している訳ではないけれど、特にフォロー数が多くないのに、急に持ち上げられても困ってしまう。
だから、私は普通でいよう。そうしよう。
──そう、思っていたんだ。
****
次の日の学校も、特に変わり映えがない。
相変わらず私は、クラスでは特に仲のいい子もおらず、顔と名前が一致しない中でのグループ実習を困りながらもやっていた。
幸い、かろうじて覚えている清水さんが一緒だったから、いつもよりきちんとできたようには思える。観察を皆で手に取って終える。
「あー、そういえば山中さん。昨日イケメンと一緒にいなかった?」
ふいにクラスの女子に声をかけられたものの、相変わらずあんまりしゃべらない子の顔と名前が一致せず、一瞬私に話しかけられているとは思っていなかった。
「え……別に……」
「うっそー、カラオケ屋にいたでしょ?」
そう言われても、と私は困る。
会計のときには、既に萩本くんマスクをしていたから、見られたらすぐ私と萩本くんだってわかると思う。あれから、フリードリンクを取りに行ってくれてたときに、すぐ歌えるようにマスクを外していたから、そこで見られたのかも。
私は奥の席で、男子グループと実験をしている萩本くんを盗み見た。相変わらず鼻から下をすっぽりと真っ黒なマスクで覆ってしまった彼は、ローテンションで周りと作業をしている。やる気があるのかないのかわからない、ダウナーな空気が漂っている。
私は自分がアプリで歌い手として活動していることを、特に周りには言っていない。萩本くんが【カズスキー】さんとして活動していることについては、結構大がかりなことになっているんだから、私が独断で口にしちゃ駄目だろう。
まさか歌い手同士のオフ会になったなんて、どうして言えるの。
私は勝手にひとりで悩んでいたら、清水さんが割り込んできた。
「なんでもかんでも偏見で話を勧めるのは駄目でしょ? 山中さんも困ってるじゃない」
「えー……でもうちの学校、男女交際禁止みたいな古臭い校則もないじゃん」
「寄り道自体は、普通に禁止でしょうが。ほら片付けに戻って戻って」
そう言って、同じグループの子たちを散らしてしまった。私は清水さんに頭を下げる。
「ご、ごめんなさい……私が答えられなくって……」
「別に。でも彼氏じゃないんだったら、ちゃんと言わないと駄目だよ。ああいうのって、放っておくと勝手に話をでっち上げられるから。最近は通話アプリとかあるし、放っておくと知らない人にまで交友関係言いふらされちゃうから」
「あ、りがとう……。でも、ちょっと一緒にいた人のことは、言えなくって」
「彼氏かそうじゃないかだけは、言っておいたほうがいいよ」
「そう、だね……本当に、付き合ってないんだ。ただのファンだから」
そう言うと、清水さんが変な顔をしてこちらを見ていた。まるでこちらを怪訝なものを見る感じで見つめてくる。
「な、なに……?」
「……ファンになっている人と、わざわざ一対一で会うの?」
そう言われると、こちらとしても困る。
「本当に、な、にもないから」
「そう?」
「うん」
清水さんは怪訝な顔のままだったけれど、結局は持論を引っ込めて片付けに戻ってくれた。私もほっとして片付けをしていると、奥の席に座っていた萩本くんと目があった。
マスクですっぽりと顔を隠されてしまうと、どんな表情なのかがわからない。ただ目を細めているのに、私はひとりでギクギクとしてしまう。
余計なことは言っていないから。
あなたが歌い手だってことも、私がそのファンだってことも。わざわざ言う必要はないと思ったから、言ってない。
そう口で言えたらいいけれど、あまりにも言い訳がましくて、結局私は、会釈をして片付けに戻るだけに留まった。
私には意気地がない。違うことを違うと言い切ることも、言えないことを内緒と誤魔化すことも、なかなかできないでいる。
歌っているときはあれだけ万能感があるのに、当の私にはなにもかもが足りない。
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