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Non-sweet coffee jelly
テレビを見て泣いたのは、いつ以来だろう。
あの日も確か今日のように雲一つない青空で、せめて雨でも降っていてくれれば、と思ったことを覚えている。私が最も力を入れて応援していた野球選手が病気で亡くなった。まだ若く、いわゆる脂がのっている時期でもあり、球団からは大きな期待を受けていた。それだけにショックは球界のみならず、ファンやマスコミ、スポーツ界全体を覆っていった。
ありとあらゆるプロスポーツ界で選手の健康管理が見直され、健康診断や定期検査の基準が変えられた。監督やコーチ、付随する関係者に対してもヘルスケアが行われるようになり、それからスポーツ選手が突然倒れるというようなニュースは聞いていない。
今見ている情報は、そのように各業界を……いや、もしかしたら世界全体を変えてしまうものかもしれなかった。
一人の政治家が凶弾に倒れた。現役の議員であり、閣僚経験者でもある。テレビの女性キャスターによれば、犯人の動機はまだ明らかになっていないようだ。
私は先日、母の訃報を聞いたばかりだった。しかし、涙一つ流さず、取り乱すことさえしなかった。何故ならば、私は母の長年にわたる虐待から逃れてここで暮らしていたからだ。小さな頃から私をかわいがれず、サンドバッグ代わりに使っていた母。家事も育児も祖父母に任せきりで、親としての義務を一度も果たさなかった。
それでも長く一緒に暮らしていれば情もわくだろう、と良く言われるが、そんなことはない。母への気持ちはただの恐れと哀れみだけだ。どんなに無情だ、と罵られようとも、それは変わらない。
一度だけ、亡くなった政治家と握手をしたことがある。母親代わりだった祖母が熱心に応援していたこともあり、応援演説についていったのだ。とても優しい目をした人で、私は自分から握手をねだった。そのような子どもは珍しかったのだろう、その政治家は「握手してもいいのかい?」と私に尋ねた。すぐに頷いた私を見て、祖母が笑っていたのを覚えている。
私の手のひらが温かい手に包まれた。母が良く「お金持ちの手はつるつるでぺらぺらなんだよ、アンタみたいにね。本当にあんたはかわいくないね、やっぱり生まなきゃ良かった」と笑っていたことを思い出す。政治家がお金持ちであることを知っていた私は、何もしていないつるつるの手なのだろうと思っていた。一度だけ繋いでもらいたいとねだり、振り払われた母の手のように、つるつるでぺらぺらなのだと。
「君たちが安心して大人になれる日本を作るよ」
つるつるでもぺらぺらでもないそれは、祖父のものに似ていた。厚く、熱く、たくましい。きっとこの人はとてつもなく険しい道を歩いてきたのだろう。そう思わせる手だった。
たくましいその手を握ったときの感触が蘇る。もう何年も昔のことなのに、人間は不思議な生き物だ。瞬間、私の瞳からは涙がこぼれていた。
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