廻る世界の行き止まりにて

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「〝一番目のセカイ〟を覚えていた人は、世界を捨てた私のことを恨んでた。消えない『母親』のことで思い詰めていた私に、『その人』は血走った目で襲い掛かってきて……そのとき、私を(かば)ってくれた人が怪我をした。それが、さっき見せた〝二番目のセカイ〟の出来事。助けられた私は、死に物狂いで能力を使って……〝三番目のセカイ〟で、またこの道を歩いたんだ」  川沿いの道に、高校の制服を着た一組の男女がいた。オレンジ色の髪の少女は、千比呂だ。その隣には、気弱そうな表情を真剣に引き締めた少年がいる。こんな顔の自分を見ても、照れる余裕はなかった。 「〝三番目のセカイ〟の私は、学校をよく休む問題児って設定だった。消えない『母親』と『〝一番目のセカイ〟の記憶保持者』が現れた衝撃が、こんなふうに世界に反映されたのかもしれないね。ああ、アイラは担任じゃないけど、この世界でも教師だよ。でも祐希、君が恋した相手は、アイラじゃない」 「うん」  見れば分かる。アイラに恋した世界よりも、しっくりと()に落ちる眺めだった。幻のスクリーンに映し出された二人は、男子のほうから女子と手を繋いで、二人のペースで歩き出した。 「この世界の祐希は、私をすごく心配してた。その気持ちを、恋だって錯覚したのかな。何回も世界を変えた所為で、私はきっと知らないうちに、祐希を苦しめたよね」  千比呂の切ない懺悔に、祐希は返事をできなかった。〝三番目のセカイ〟の祐希は、このとき何を考えていたのだろう? 千比呂に対して幼馴染以上の想いを抱きつつも、その幼馴染の手によって消し去られた〝一番目のセカイ〟の記憶も抱えていて、愛憎と呼ぶにはあまりに未熟で、それでも持て余してしまうほど巨大に膨れ上がった感情の狭間(はざま)で、煩悶(はんもん)を育てていたのだろうか。すでに『何もなかったこと』にされた苦悶(くもん)に思いを()せても、何の手応えも得られない。  ――祐希は本当に、千比呂を恨んだのだろうか?  ――だとしたら、世界を創りかえた千比呂の手を、それでも取ったのはなぜだろう? 「私は、揺れたよ。もう世界を創りかえるのはやめようかな、この世界で、私も祐希と幸せになってもいいのかな、って。……でも結局、『彼』は私の命を狙った。〝一番目のセカイ〟を覚えていた『彼』は、〝二番目のセカイ〟のことも覚えていたんだ」  千比呂は、目を伏せて囁いた。ああ、と祐希も息を吐いた。  祐希は、葛藤に負けたのだ。負けて、千比呂を狙ったのか――。 「正確には、『彼』は私を狙ったんじゃない。私を傷つけるために、私の大切な『あの人』を狙ったんだ。そうすれば、私は必ず能力を使うから」 「……。え……?」  諦観で満たされたフラスコに、言葉の劇薬が投じられ、酸でしゅわしゅわと溶かされて色を変えていく感情を、理性がすぐに処理できない。  ――何かが、おかしい。千比呂が語る真実と、〝セカイ〟の変遷(へんせん)をたどった祐希の理解が、両親と今朝交わした会話のように、違和感まみれで噛み合わない。  すうと首筋が寒くなり、祐希は俯く千比呂を見た。その千比呂の背後で、今も理科室のスクリーンで手を繋ぎ合った〝三番目のセカイ〟の千比呂と祐希が、こちらを振り向いて、目を(みは)り、はっと顔を強張らせている。  視線の先に、殺人鬼を見つけたかのように――二人の視線を追った祐希も、ぎこちなく振り返り、息が止まった。そんな祐希の隣へ歩を進めた千比呂は、この展開をどこかで予想していたのか、(りん)(まなじり)を決していた。理科室の引き戸の前に現れた人物へ、戦いを挑むように言葉を畳みかけていく。 「――私が『あの人』のために世界の変化を望んだように、引き継いではいけない記憶を引き継いだ『彼』も、世界の変化を望んだんだ。私が初めて能力を使って生み出した〝一番目のセカイ〟……『あの世界のやり直し』こそが、『〝一番目のセカイ〟の記憶をずっと引き継いできた彼』の、真の望みなんだ。……そうでしょう? 堂島旭(どうじまあさひ)くん」  まやかしの夕景色が、ぱきんと澄んだ音を立てて割れた。〝一番目のセカイ〟がこの理科室で一度、闇に塗り潰されて砕けたときと同じように。  崩落(ほうらく)する〝セカイ〟の欠片(かけら)の雨の向こうから、悠然と理科室に入ってきた長身痩躯(そうく)を認めた途端、ぶわりと初夏の青い風が、それこそ世界を変えるような鮮烈さで吹き荒れた。カーテンが(ひるがえ)り、日差しの閃光に瞳の奥まで()かれたとき、祐希もまた『彼』のように――千比呂によって連綿(れんめん)と創りかえられてきた〝セカイ〟の記憶を、取り戻した。 「……〝三番目のセカイ〟の僕は、千比呂を説得していた。高校に全然来なくなった千比呂は、久々に登校したかと思えば、僕にも学校には行くな、なんて言うから。千比呂は誰かに狙われていて、そいつは僕のことも狙ってる、なんて言うから」  あの川沿いの道で、千比呂は決死の顔で言ったのだ。戸惑った祐希は、とにかく大丈夫だと千比呂へ必死に言い聞かせた。酷く怯えた幼馴染を、安心させたかったのだ。 「だから、言ったんだ。『千比呂は、僕が守る』って。君も聞いていたよね、(あさひ)」 「……で? どうやってそいつを守るんだ? 〝四番目のセカイ〟の祐希さんよ」  堂島旭は、不敵に笑った。長めの髪と、着崩した学ランの裾が風に揺れる。学校の風紀を無視した出で立ちは、他の〝セカイ〟と共通のものだったが、瞳には危うげな光がギラギラと獰猛(どうもう)(みなぎ)っている。祐希の悪友としての仮面は、とうに捨て去っているようだ。祐希は旭を睨みつけると、慣れないながらも啖呵(たんか)を切った。 「僕が、千比呂を庇えばいい。〝二番目と三番目のセカイ〟のときみたいに」  声音に、どうしても自責(じせき)の念が滲んだ。もっと早く、旭を疑うべきだったのだ。今朝『クラスが変だ』と訴えた祐希に対して、旭は『普通』だと断言したのだから。――真に『普通』の人間ならば『何が変なのか』と訊ねるはずだ。祐希の後悔が伝わったのか、旭はくつくつと暗鬱(あんうつ)(わら)い出した。
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