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香川姉妹の秘密
長岡惠はハーフである。
日本人の父と、北欧セネパジ共和国出身の母。いまも両親ともにセネパジ在住である。
惠の母ナターシャは、セネパジ古王朝時代の王族の末裔で、湖に面した森のなかにある一族の古城に住んでいる。在セネパジ日本公使館の駐在武官だった惠の父は、防衛省出身のキャリア組で、彼女の現在の職務も、むしろ防衛省の省益という位置づけにおける処遇といっていい。
そのことは、志嶋柊平も、スタッフ・ファイルで確認済みだった。ところが生年月日、つまり年齢は記入されていなかった。ざっと二十代後半とにらんでいたものの、この時期の女性の年齢は外見上からは極めて判断しにくいのも事実である。十代といってもいい女もいれば、三十後半にみえる場合もある。おそらく欧米で長らく女性に年齢をたずねることが社会的タブーとされてきたのも、本人に聴かなければ判らないからであったろう。
「いえ、それはちがう……」
と、言ったのは惠である。
「たぶんね、それは、教会にとっての暗黒の歴史の一つ……魔女裁判と関係があるとおもうの」
「え……?」
「ほら、魔女って、年齢で規定されないじゃん……だからね、その名残りで……女性に年齢を聴いちゃいけない慣行になったのよ。たぶん。だって、年齢を聴く行為は、“おまえは魔女なのか?”と、問い糺すことと同じ気味合いを持つようになっていったはず……」
「そ、そうなのか?」
「なんてね、あくまでも、わたしの直感だけど」
「そ、そうか……」
柊平は答える。相手は職階上は部下なのだが、むしろ、事実上、同僚と同じにすぎない。
対アルファ・ビルヂング監視の拠点は、三階建ての海善アパートに設けられた。地下二階部分の駐車場スペースを貸し切り、偵察員十名、偵察補助員二十名のほか、本部からIT部門複数名を引き抜いた。
偵察補助員には、所轄警察署警官、税務署職員、郵便配達員をはじめ、近隣の政府施設および民間企業のワーキング・パーソンが含まれる。単に情報提供だけでなく、必要に応じて当人は潜入捜査に従事する。さらに、この補助員一人ひとりに複数名の賛助員による協力体制が整備されていくことになる。
「……まるで、ネズミ講みたい」
惠は面白がって笑い転げる。
「笑っていられるのも今のうちだよ。アルファ・ビルヂングのなかで、こちらの協力を得られる住民も探さなければ……」
柊平は三十三歳という年齢には似合わず、慎重な性格で、どちらかといえば、ある程度のマンパワー体制をバックボーンとして、初めて力を発揮するタイプである。
「あ、それなら、もう目を付けてるわ」
「誰のことだ?」
「ええと……206号室だったかしら……香川姉妹」
「あ、何度か挨拶したことがある……部長に言われて、部屋探しをよそおってうろついていたときに」
「え……! 支部長自ら?」
「だから、まだ、ぼくが支部長に任命される前」
「あ、そうか……ね、なかなか、素敵な姉妹でしょ? 血は繋がってないのに、そっくりさんなんだから不思議」
「えっ? ほんとの姉妹じゃないのか」
「なあんもリサーチしてないじゃん。だったら、知らないでしょ? あの姉妹が、コウモリと河童に興味を持っていることを!」
「な、なんだ? それ?」
「それにね、河童といえば……401号室も要チェックかも」
「え……?」
柊平は驚いた。全体像がみえないのに、手早くテキパキと突破口を探ろうとしている惠が、なにやら北欧の魔女のようにおもえてきてならなかった……。
※註
参考文献
くろぶちサビイさん
『香川姉妹の平凡な日常』
https://estar.jp/novels/25984880
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