ノコギリヤシサプリ

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ノコギリヤシサプリ

 変装はとくにしない。柊平はいつものサマースーツとネクタイ、ネクタイピン、(めぐ)はジーンズとノースリーブニット。従来型ロジックで服を選ばない……というのが、惠なりのファッション・ロジックなのだった。 「ね、前から聴きたかったの、ネクタイの三色……シュウちゃんにとってはなにか深い意味があるのね」 「あ……あ」 「赤、黒、紺……のトリコロール(三色旗)とおもって調べてみたけど、見つからなかった……いつか解明してみる」 「解明……って、いま、やるのは、そっちじゃないだろ」  柊平がいった。少しずつだが、上司らしい応答ができつつあった。あくまでも、少しずつ。 「じゃ、行きましょ」  傍目(はため)から見れば、惠が上司のように映るのは変わらない。  一度、螺旋階段で地下二階まで降り、柊平はビジネスショルダーバッグ、惠はデイバッグを持ち、IT部員から小豆サイズの盗聴器セットを受け取った。  外に出たとき、 「オー・マイ・ガー」 と、珍しく惠が動揺した。  目の前を通り過ぎた青年を見たからだ。 「どうした?」  柊平が()いた。 「いまのひと」 「男がどうした?」 「小山田(おやまだ)小太郎(こたろう)」 「ん……? 知り合いか?」 「アルファ・ビルヂング305号室」 「あ……あ」 「偽名らしいの。本名は不明……という異名を持つ青年だよ。本部のリクルーターが狙っているの、雇いたいって」 「え……? それも初耳だぞ」 「わたし、かれを追うから、あとは、支部長にお願い」 「こんなときだけ、支部長なんて言うなよ」  柊平が言う間に、すでに惠は駆け出していた。舌打ちする音は風にまぎれて自分の耳には届かない。仕方なく一人でアルファ・ビルヂングへ向かった。敷地までは数分の距離だが、そこから登り坂になる。一階は駐車場スペースで、このとき、はじめて柊平は、惠が言っていた意味にたどり着いた。 (なぜ、地下に駐車場を造らなかったのだろうか……)  数分の距離にある海善アパートは、地下を活用している。にもかかわらず、なぜアルファ・ビルヂングには地階はないのか……。 (やはり、ここの地下には、ふれてはいけない何かがあるとでもいうのか……!)  結論には慎重な柊平ですら、そんな着想までは否定はしない。突飛な妄想には安易に飛びつかないものの、ある程度の蓋然性があるというのなら完全否定はできない、しない。……これが柊平なりの思考プロセスである。 「あ、ゴミ箱の……」  ……上にあったダイコンが無くなっていた。一つだけを柊平が持ち帰ったとき、まだ二つは残っていたはずである。 「や……?」  そのとき、そばの桜の木の枝に白いものが動くのを見た。 「え……?」  青葉が繁り出した枝にダイコンが腰掛けていた。いや、この表現は正確ではない。乗っていたというべきか、ダイコンは別なに巻きつかれ、枝から落ちないように支えられていた。 「白い蛇……?」  目をパチクリさせた柊平がよろけたとき、靴がなにかを踏んだ感触があった。  足の位置をずらすと、つい先ほど手渡された小豆サイズの盗聴器に似たものが三つほど散らばっていた。  しゃがんで指でつまみあげた。 「あ、それ……ノコギリヤシサプリかなあ」  男の声がした。柊平が振り返ると、管理人のヒロさんがいた。  一度、立ち話をしたときに29歳と言っていたはずだ。そのときは、柊平は帝都大学の助教の名刺を渡したはずである。都市文化考証学会の顔写真付き会員証も提示しておいた。 「先生……」  ヒロさんがいった。 「あ、先日はどうも……」  慌てて柊平が返した。 「まだ、なにか調べものなんですか?」 「え……? そ、そうなんです。建物というより、この土地に興味がありまして。ゼミの学生がいうには、どうやら隠れたパワースポットらしいのです」  とっさに柊平は(めぐ)が言っていたことを思い出し、そのまま話の骨格だけ借用した。 「いま、宮内庁の資料室にも問い合わせているところなんです」 「そうなんですか……私はてっきり入居者を調査しているのとばかりおもっていました」 「あ、402号室の桂木俊輔は、ぼくの幼なじみなんです……何度訪れても居ないようなんですが……」  嘘は方便というが、柊平は“幼なじみ”などと言ってしまったことをすぐに後悔した。安易に“幼なじみ”を装うのは、危険である。後々に話の辻褄が合わないことで、相手にも虚偽が察知されやすいからだ。 「この前はそんなことはおっしゃっていなかったような……」 「はい、ちょっと訳ありでして……」と、柊平は答えた。  この“訳あり”というフレーズのほうが、よっぽど第三者の胸には届きやすい。 「そうですか……あ、いま、拾われたのは、ノコギリヤシだとおもいますよ」 「ノコギリヤシ?」 「サプリメントです、最近、廊下にも落ちていることがあって、誰かがフタを閉め忘れて、歩きながら落としたのかも」 「あ……そうなんですか。あの、ついでに教えていただきたいのですが、いまから401号室を訪れて、隣人のことを聴きたいのですが……」 「たぶん何も知らないのではとおもいますよ。前にもお伝えしましたが、桂木俊輔さんには一度もお会いしたことはありません。ただ、週に一度、女子高生が部屋を訪れていますよ。合鍵を持っているらしく、中に入っていました。お父さん……と呼んでましたっけ」 「ほ、本当ですか……?」 「名前は……あやちゃん、だったか、あみちゃんだったか……」 「曜日は決まっているのでしょうか?」 「毎週木曜日だったのですが、ここ半月ほどは見かけていません」  それだけの情報でも柊平にはありがたかった。交替で監視しているはずの捜査補助員たちはなぜ外部からの訪問者を見過ごしたのだろうか。そのことが柊平にははがゆい。支部設置の改装と体制整備を急いだあまり、補助員らの関心の対象の軸もおのずと()らいでいたのかもしれなかった。 「ありがとうございます。あしたは木曜日ですね、もう一度、明日、朝から来て、待ってみることにします」  そう言い残すと、あっさり柊平は引き返すことにした。  一日待つ間に、こちらの体制を再度見直すべきだろう。十数箇所に設置した監視カメラの保存データをチェックし、映っているかもしれない女子高生の姿を早急に確認しておくべきだと柊平は判断した。  丁寧に管理人に礼を述べて、(きびす)を返した。  ふと見上げた桜の木には、もうダイコンも白い蛇もいなかった。かれはあえてそのことを考えないように、意識を謎の女子高生へと集中させようとしている……。                     ※註 参考文献 キツナ月。さん 『305号室の水神』 https://estar.jp/novels/25981445 sassyさん 『アルファ・ビルヂング [前編]』 https://estar.jp/novels/25948270
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