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そして約束の週末。
最寄り駅まで迎えに来てくれた彼を見て、目を丸くする。
今日はいつもの黒塗りの車じゃない。
朝から目が覚めるような真っ白のスポーツカーだ。
それに、運転席から降りてきたのは有村さん本人。
「おはよう、琴美」
一週間ぶりに至近距離で見る有村さんの麗しさは凄まじい。
休日にも関わらずきちんとしたジャケットスタイルだけど、中は丸首のカットソーだから柔らかい印象。
スポーツカーとは負けず劣らずの眩しさに目がくらむ。
「琴美」
不意に伸びてきた手は、私の肩までの髪を優しく撫でた。
ドキッとするも、嫌悪感は全く感じない。
「可愛い格好してる」
別にあの美しい秘書さんに張り合ったわけじゃないけど、いつもまとめている髪を下ろし、服も珍しくフェミニンなものを選んで。
そんな変化に気づいてくれたのが嬉しくて、うっとりした視線も、優しい手も、ちっとも嫌じゃなかった。
「乗って」
促されるまま助手席に乗り込む。
慣れた手つきで運転を始める彼は、いつもより増して魅力的に見えて。
「そうだ、はい」
「……?」
手渡された小さな粒。
「ガム?」
途端に顔を紅潮させる彼に、勢いよく現実に戻された。
そうだったそうだった。
変態だった。
膨らみかけていた淡い気持ちが、急激に萎んでいく。
変態じゃなかったら、もっと素敵なのに。
だけど変態じゃなかったら、私なんて相手にしないんだろうな。
なんだかすごく切なくて、だんだん悔しくなってきて、信号が赤になるのと同時に彼の顔に近づいた。
自棄になって、わざとらしく耳元で咀嚼する。
「クチャクチャクチャ」
あー。何やってるんだろう。
こんなことしたって、何にもならないのに。
虚しさと共に耳元から離れた瞬間、急に手を掴まれて変な声が出た。
「なっ!」
彼はとろんとした瞳で私を見据え、耳まで真っ赤にして言った。
「そうやって煽ると、歯止めきかなくなる」
「は!?」
心の底から声が出た。
煽るって何!?
心の癒やしの為にASMR聞いてるんでしょ?
私の手を握る手は、かなりの熱を帯び力強い。
「有村さん……?」
薄々気づいていたけど、彼の咀嚼音好き、癒やしというよりもっと……性的な意味合いを含んでいるような。
危険!危険!そう警告アラームが頭の中で鳴っているように、改めて気を引き締める。
彼を好きになっては危険だ。
そもそも、好きになってはいけない相手だし。
青信号になり手が離れた瞬間、一人静かに決心した。
もうこんなことは、今日で最後にしよう。
彼にそう伝えよう。
何も知らない彼は、まだ微かに赤い横顔で運転に集中していた。
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