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「今日は本当にありがとうございました!」
「こちらこそ楽しかった。でも、琴美の実家に寄らなくてよかったの?」
「はい。今実家、二世帯住宅に建て替え中で。両親、姉夫婦のとこに泊まってるんです」
そもそも、いきなり勤め先の会社の副社長を実家に連れてくってどういうことって感じだし。
車は私が住んでいるアパートの前で停まり、再びお礼を言って降りた私と一緒に有村さんも降りてくれる。
正直言って古いアパートを見られるのは少し恥ずかしかったけれど、それよりも名残惜しさの方が勝ってしまう。
「じゃあ、また会社で」
「はい」
再び差し出された手を握り、ビジネスライクなお辞儀をする。
どうしても手を離すことができない。
「………………」
「………………」
お互い手を離さずに、黙って見つめ合う。
早く有村さんの方から離してくれたらいいのに、という思いと、まだ離さないで、という願いがせめぎ合った。
さっきは流れで断れなかったけれど、今言ってしまおうか。
もう終わりにしたいと。
それとも、想いを伝えてしまおうか。
だけど身分が違いすぎるし。
いくつもの選択肢に苦悶している矢先、先に口を開いたのは有村さんだった。
「琴美、俺は……」
____「江藤さーん!!」
彼の言葉をかき消すように響いた、女性の物々しい声。
振り向いた先に、アパートの大家さんが顔面蒼白でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「どうしたんですか?」
あまりにも血相を変えているので、嫌な予感に冷や汗が滲む。
まさか住人トラブルでも?
もしくは振り込んだはずの家賃が入ってなかったとか?
「大変!江藤さんとこの部屋、壁が壊れたって!」
「………………」
もっとシビアな内容だった。
「こ、琴美。大丈夫?」
立ち眩みする私の身体を支えてくれる有村さん。
まだ慌てた様子の大家さんの言葉に、気が遠くなりながら耳を傾ける。
「お隣の安藤さん、模様替えしようと棚の配置変えてたんだって。そしたら江藤さんとこと通じてる壁にぶつけて、ひびが入って。元々老朽化して脆くなってたのね、そのままボロボロと……」
「そのまま……ボロボロと……?」
マジすか。
「琴美、しっかり!」
目の前が真っ暗になり、もう一度目眩が。
「他の壁も点検があるし、すぐに工事しても一ヶ月はかかるから、その間、……どこかに泊まれる?」
「一ヶ月……」
……大変なことになってしまった。
「琴美!」
「江藤さん!」
今日のハイライトが、全部持ってかれてしまう……。
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