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「ぼっちゃまは素敵な人と巡り会いました」
そう涙目で笑ってくれる勅使河原さんに、ぎこちなく笑い返すことしかできなかった。
きっと彼は知らないんだ。
私は、有村さんにとって咀嚼音としてしか見られてないってことを。
「彼はとても慈悲深い方だけど、その分大きな寂しさを抱えてる人だから」
勅使河原さんの表情に、なんとなく想像してしまう。
家族と、特にお父さんとうまくいってないんじゃないかって。
「社長は優れた経営者ではありますが、辣腕と言いますか、厳しい面も持っています。千明くんのことも、息子というよりは、後継者として育てていたように見えました。奥様は社長の言いなりですし、私は心苦しくて」
「そう……なんですか」
勅使河原さんは、「あんまり勝手なこと言うと怒られるな」と苦笑した。
私はただ黙って、時折見てしまった有村さんの寂しそうな顔を思い出していた。
「ここまできたら聞いてください。あなたに聞いて欲しい。全ての責任は私がとります」
勅使河原さんは、再び真剣な目で言った。
「千明くん、一度社長と仲違いして、家を出てるんだ。高校くらいの時かな。お母様の実家から学校に通って」
そういえばハピネスチキンに行った時、そんな話を聞いた。
「もうこのまま、会社を引き継ぐことは選択しないんじゃないかと思ってたんです。だけどある時、急に戻って社長に頭下げて。後継者になる為の武者修行として海外へ。もちろん私もついて行きました」
「なるほど……」
偶然同じ横浜に住んでいたその時、有村さんに何があったんだろう。
きっと、かけがえのないターニングポイントだったはずだ。
「ありがとうございます。そんな貴重なお話を」
後で有村さんに怒られないかな?
それでも聞けて良かったと思ってしまうのは、本格的に彼のことを好きになってしまった証拠だと悟った。
「きっと千明くんは、私を責めないでしょう」
お茶目に笑ってアイスコーヒーを飲み始める勅使河原さんにホッとして、私もコーヒーフロートを口に含んだ。
「これは咀嚼音出ない」
「咀嚼音?」
「いえ、なんでもないです」
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