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威勢の良い掛け声と共に、乗り場へ折り返して行く馬車へ、目を遣った武尊が、遠去かる蹄の音に苦笑を洩らしていると、背後から唐突に名を呼ばれた。目を遣ると、琥綱 諒が、贔屓の徒花、遥風と共に立っていた。
長身でスタイルの良い諒は、スーツ姿が良く似合う美男子だ。ここが濤声楼のような娼館では無く、遥風もそれなりの服装ならば、似合いのカップルに見えるだろう。それも人目を惹き、誰もが羨むような二人だ。
「なんだ、もう帰るのか?」
冷やかし口調で武尊が声を掛けると、これから当直だと笑った諒は、
「なんだよ、白露を日本に連れて帰るんじゃ無かったのか? 未だぐずぐず遣ってんのか?」
と笑いを意地悪く、濃くして見せた。背後から諒の腕を取った遥風が、思わせ振りに鼻をすすり上げ、武尊の視線を受けると『うふふ』と笑って、口を挟んだ。
「折角の身請け話なのにさぁ、あんな肉体で、贅沢言っちゃってんのさ──」
白露を見下すかのような口振りで、武尊の裡に不快が湧き起こった。端から、武尊を不快にさせるが為の言葉だったと見え、遥風は険しい眼差しを当てられても、臆すること無く、美しい貌から甘い表情を消し去り、平然と受け止めた。
「ま、白露が望まないなら、無理だな──俺が身請けを言ってみるかなぁ?」
他愛も無い冗談だったのだろう、『あはは』と諒は笑い、
「あん、だったら、そろそろアタシに子を孕たせておくれよ──」
甘ったるい口調で、遥風は諒の腕を細かく揺すった。
「冗談だよ。うちの女房が、許す訳ないだろう。こうして遥風と遊ぶのが精一杯だ」
二人のやり取りにため息を着き、興味が無いと後ろ手に挨拶を投げ、武尊は店へ向かった。
「せいぜい頑張れ。白露は、お前を好いてるはずだ」
追い掛けて来た諒の声に、遥風の高い笑い声が被さり、到着した馬車の音が全てを掻き消して行った。
ニーベルクの長い冬の始まりは、遠くから風に乗って届く、仄かに甘い花の香りで、冬への扉が開いたことを知る。目を細めて、その香りを胸に吸い込んだ白露は、洗濯籠を足許へ置いて空を見上げると、名も知らぬ花の姿を、脳裏に思い描いた。
(色はきっと白、沢山の大きな花弁を広げ、中心へ向かって鮮やかに染まる紅色の道──淑やかに、楚々とした美しい貴婦人のような佇まいの花……)
洗濯籠から掴み上げた洗濯物を広げ、竿に掛けながら、自分が常に夢想するイメージに酔った。
(そんな花のような、女に生まれたかった──)
風に煽られ、はためく洗濯物を竿に押し付け、慌てて洗濯バサミで抑えた。
(花の香りに誘われた、蝶々のような殿方に、花弁を擽られ優しいキスをされる)
何時もの甘いイメージに、青空を見上げ惚っとり瞼蓋を降ろし、陶酔は淡く白露の頬を染めた。
(深く愛され、可愛い子を生んで──)
自分には叶わぬ夢物語……その現実に気落ちして、何時も夢想はそこで終わる。残酷な現実──悪い夢のような現実だった。
細やかな空想から醒めた時、帳場から朝霧の呼ぶ声が発ち、即座に『はい』と一言返し、手早く着物に着替えた白露は、階下へ急いだ。
きっと武尊だろうと、帯を結びながら帳場に顔を出すと、予想通りにその姿があった。
白露に流行は判らないが、武尊の体格を品良く主張する、洒落たスーツ。一見細っそりとして見えるが、柔軟やかな筋肉に覆われた、見事な肉体が隠されていることを、白露は知っている。その逞しい腕に抱かれて、何度も夢の桃源郷に遊んだ──。それは、何時も甘やかな記憶を胸に呼び起こす。間違い無く愛の記憶だった。
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