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二日後に日本へ発つこととなった白露が、朝霧と寝起きを共にし過ごした小部屋で、身の回りの片付けをしていると、背後から柔らかい声が掛かり、振り向くと福寿の優しい笑顔があった。
ニーベルクから見て西側の隣国、ヴェロニック王の第三夫人として、身請けされることが決まった福寿は、近々この濤声楼を出てゆくこととなり、もう徒花の着物姿では無く、上品な褐色(濃い紺色)のシンプルなワンピースに、一つに束ねた、艶やかな黒髪を、ふんわり片方の胸へ流していた。
「福寿姉さん、この度はおめでとうさんです」
手を休めた白露が、お祝いの言葉を口にすると、『有難う』と喜んだ福寿は、荷造りを続けるように促し、
「白露ちゃんもね、おめでとうさん──」
心華やぐお祝いの言葉であるのに、涙で声を詰まらせた。白露の瞳にも薄っすら涙の幕が光り、お互いがお互いの幸福を嚙み締める時間が、僅かに流れ、頬へ零れた涙を拭い、二人は微笑んだ。
「頂いた着物なんですけれど、橘花さんに、譲ろうかと思うのです……」
橘花が白露の譲り受けた、福寿のお下がりに向ける憧れの眼差しは、実に雄弁で、淡雪も、『あれ、相当欲しがってるわよ』と白露に囁くほどだった。
「白露ちゃんに上げた着物よ。好きになさいね」
にっこり微笑んだ福寿は、チラ──と後ろを振り向き、
「遥風ちゃんが、何か言いたいそうよ」
と、部屋へ入れず、モジモジやっている遥風を捕まえると、身体を押して、白露の前へ歩かせた。
顔を向けた白露が、『なんでしょう?』と尋ねると、握った手をズイ──と差し出した。遥風の拳を見て白露が首を傾げると、手の掌が開かれ、小さな天使が現れた。『あっ──』と声をたてた白露は、それがクリスマスツリーの飾りであると直ぐ様気付いた。
白露を愛した亡き『帝』が、イヴの夜、手土産として持って来たのが、オルゴールの鳴る、小さなクリスマスツリーだった。可愛らしいチャームが幾つか付いてはいたが、そのひとつが、こうして遥風の元に有ったとは、白露は思いもしなかった。受け取った白露が、鞄の中へしまうと、
「遥風ちゃん、未だあるでしょう? 返せなくなっちゃうわよ」
福寿が何時もらしからぬ険しい声を上げ、『わかったよ』と観念したように呟いた遥風は、着物の胸元へ手を差し入れ、抜き出した手には、美しい宝石が鏤められた手鏡が有った。それも帝が、愛する白露へと手土産に持って来た品で、先ほど同様、白露が小さく叫びを上げると、
「ごめんなさい」
と謝りながら、遥風は胸元を掻きあわせ、
「あんたが憎らしかった。『白露、白露』って──みんなに可愛がられて」
不貞腐れ口調で捲したてた。『そんなこと無い』と白露が口を挟むとそれを制し、
「この店じゃ、アタシが一番なのに──面白くなかった」
手鏡を畳の上へそっと置き、『ごめんなさい』と謝りながら、頬を濡らした。
「酷いことを言った。悔しくて、悔しくて何度も打ってしまった──ごめんね……」
畳に膝を着いて白露の肩を抱き締め、『ごめんね』と繰り返した。
「いいえ、どうか謝らないでください。遥風姉さんはには、何時も笑ってて欲しい。私は、遥風姉さんの笑った顔が大好きです」
遥風の背中を抱いた白露は、優しく何度も擦った。
「私が、何時も憧れに描く女の姿は、遥風姉さん、貴女でした──だからどうか笑顔を見せてください」
泣くことを止められても尚、遥風の瞳からは涙が溢れた。
「幸せになっておくれよ。でなきゃ……承知しないんだからね」
号泣で叫んだそれは、遥風が送る、最大の餞だった。
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