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5
立ち止り、一静の母親が振り返る。顎のラインで切り揃えられたショートカットの毛先が揺れる。
「ここよ」
淡い水色の傘を差したまま一静が一歩踏み出すと、母親はその場を譲った。
***
もう静空に会えないと知って、一静は両親に電話を掛けた。
「今まで育ててくれて、ありがとう。これからも、お母さんって、お父さんって呼んでもいい?」
湿った声を震わせながら、当然でしょ、とどこか誇らし気に母親は答え、もちろんだ、と父親は穏やかに笑った。
それから一静は迷いながらも、命を授けてくれた実の親に会いたい、と願った。育ての親、実の親の誰かが嫌だと言ったら、止めようと考えていた。しかし育ての親二人は、快く叶えてくれた。
***
「初めまして、かな?」
向き合ったまま、ふと思い浮かんだ疑問を口にすると、小さな笑い声がした。
「二人とも、初めましてじゃないわよ」
「そっか、そうだよね」
実の父親は一静が生まれたわずか3日後に、実の母親は一静を産んだ四ヶ月後に、二人とも交通事故で命を落とし、実の親の親友である二人が一静を引き取ったという。
それを聞いて、二人が育ての親で良かったと心から思った。
「何でもいいのよ。話をするのも、話を聞くのも、どっちも好きな人達だったから」
思い出話でもするような声に一度だけ頷いて、その場にしゃがむ。傾きかけた傘の持ち手を握り直しながら、何を話そうか悩んで、そして思いついた。
ふっと息を吐いて、目を閉じる。
命を授けてくれて、ありがとう。
二人が与えてくれた命を、幸せを、大切にします。
伝え終え、瞼をゆっくりと持ち上げる。何となくお墓の横に目を向けて、その目を見開いた。
「一静をお腹を痛めて産んでくれたお母さんよ」
傘がぶつからないように、一静の母親は慎重に隣に座り、小さなアルバムを開く。
「……静空」
ぽとぽと。ぽとぽと。傘にぶつかる雨の音に、母親を呼ぶ声は紛れて消えた。
――腕の中で心地良さそうに眠る赤ん坊を、静空は慈しみに満ちた優しい眼差しで見つめていた。
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