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「それで、高校卒業間近に家を飛び出した」
「……え?」
「卒業はしたよ。年上の彼氏のとこで暮らして」
驚愕して、一静は思わず隣を見やった。薄く開いた口から漏れることのない問いを、静空は当然のように拾い取って、ふわりと微笑んだ。
「大丈夫。やばい人ではなかったよ。ちゃんとした大人で、優しい人で、かっこいい生き方をしてた」
「……ちゃんと」
「あぁ、卒業間近の女子高生に手を出す奴なんか、やばい奴だと思った? 確かに、そこはロリコンって思われても仕方ないかも」
そう思うでしょ、と問い掛けられて、一静は困った。知らない人を、一つの事柄でやばい奴と判断するのは難しい。それに、静空の微笑みには温かさがあった。
真面目に悩む一静に、静空は優しい笑みを浮かべる。
「要するに」
静空の変わらずひんやりとした手が、一静の頭に触れる。ちらりとその手を見上げようとして、静空の大きくて丸い、愛らしい目と目が合った。
「親と仲が悪くても、良くても、子どもは勝手に幸せになるの」
まるで自分自身に言い聞かせるように。一静はそう思った自分に、静空に戸惑った。
「それでも親は、子どものことが心配でたまらないんだけどね」
ゆっくりと静空の手が上下に動く。心地良い、と思いながら、一静は静空を見つめる。
そっと視線を落として、静空が俯く。ひんやりとした手はまだ、一静を優しく撫でている。
「うちの親も、そうだったのかなぁ」
一静はむくりと身体を起こし、静空に向き合った。一静を追って静空の目が持ち上がる。
「分からない」
「そう、だよねぇ」
正直な言葉に、静空は口の端を引き攣らせて苦笑いをする。珍しいその表情に、一静の胸の中に嫌な不快感が走る。
「でも、静空は嫌だった。心配だからって、嫌なことをするのは良くない。親でも」
普段は感情の薄い一静の声に、確かに苛立ちが宿っていた。
思わず静空は目をまん丸くさせて、次にぱちくりさせて、そして大袈裟なくらい声を上げて笑った。
しばらくして笑い声が止むと、静空は一静を抱きしめた。湿り気を帯びた一静の熱が、どこかに置き忘れてきたはずの静空の体温と溶け合う。一静にとって、それはやはり心地良いものだった。
「本当に、優しい子に育ったねぇ」
離さないと言わんばかりの力とは反対に、静空の声は降り始めた雨音のように静かだった。
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