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3
唇をぎゅっと噛んで、玄関扉に手を掛ける。やはり扉は開かず、一静は肩に下げたスクールバッグから鍵を取り出す。
ガラガラと、雨音を覆い隠す音を立てて扉を開くと、お行儀よく並べられたオレンジ色のスニーカーがあった。
一静は習慣通りに洗面所で白い靴下を脱いで、手洗いうがいを終えて、台所で必要なものを用意し、自室に向かった。部屋の扉は開け放たれていた。
「おかえり」
「ただいま」
およそ二週間ほど前に出会った二人が、まるで家族のように挨拶を交わすのは、初めてではなかった。
勝手に部屋に上がる静空の自由気ままな行動を特に気にすることなく、一静はローテーブルにお盆を置いて、勉強机の椅子にスクールバッグを横たえた。
夏用のカーペットの上で静空は猫のように伸びをして、起き上がるなり一静にすり寄る。
「買ってきた」
「ありがとう。わざわざすまないねぇ」
「気にしないで」
スクールバッグから手探りで拾い上げたものを、一静は梱包から引き剥がす。
「まさか、イヤホン持ってないとは思わなくて」
「必要なかったから」
「勉強で使わない? 英語のリスニングとか」
「使ったことない」
「まじか」
クラスメイトと変わらない言葉遣いに、無表情な一静の顔に笑みがこぼれる。一静は窮屈なチェックのネクタイを剥ぎ取って、ローテーブルの前に体育座りをする。欠伸をしながら静空は隣に座った。
「はい」
「ありがとねぇ」
ロックアイスにソーダ、母親の梅酒で満たしたグラスを静空は嬉しそうに受け取る。
ぐらりと揺らぐものを胸に感じながら、一静はロックアイスとソーダを混ぜたものを喉に流す。静空の視線に気付いて目を下げると、無理に逸れる。その先に、付属されたケースに包まれたスマホがあった。
「おすすめは?」
「えっ、うちが選んでいいの?」
「歌はよく知らない」
「ほんとに? 今の流行も? 昔懐かしメロディーも?」
「知らない。合唱曲でいいなら、そうする」
そう言ってスマホを操作する一静の手を慌てて止めて、一緒に聴きたいの、と静空は一静が生まれた年の曲を囁くように告げた。
静空の望む曲名を打ち、イヤホンを二人で分けて、再生ボタンを押す。
暑い夏を涼しくしようとする波の音が流れ、少し強めの雨音と重なる。
「…………ないの?」
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