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3
窓の外の雨足は、また強くなってきている。スマホから聞こえる雨音も大きくなった気がする。
「ねえ、そっちもひどいね。部屋に帰ってお風呂入ってからかけなおして。電話しながらだと早く歩けないでしょ?」
「大丈夫、もうちょっとだから」
変なところ頑固だなと、新しい一面に気が付いた気がした。細く開けてみたサッシから雨音と共に雨の匂いが入ってくる。名古屋の雨もこんな匂いがしているのかな?――そんなことを言おうとしたときだった。
「ハッピバースデー ツー ユー、ハッピバースデー ツー ユー……」
瑛太がいきなり歌いだす。雨音で消されて、周りには聞こえないかもしれないけど、恥ずかしいよ。
「瑛太、どうしたの? 周りに人いないの?」
「いても別にいい。ハッピバースデー ディア あかり~」
歌声が止まった。
「瑛太?」
そのとき、インターフォンが鳴った。
「瑛太、ちょっと待ってて」
スマホに向かって大きめの声で言った。
こんな時間に誰かと思いながら、せっかくの瑛太の歌を途切れさせられたことに腹がたった。
スマホを耳にあてたまま、インターフォンに出る。
「ハッピバースデー ツー ユー。あかり誕生日おめでとう!」
インターフォンの小さな画面と、耳にあてたスマホから同じ声が聞こえる。
慌てて玄関に向かって鍵を開けてドアを開いた。
雨のなかを歩いてすっかりくたびれている名古屋にいるはずの夫が、同じくらいくたびれてしまった花束を胸の前に持って笑っている。閉じたビニール傘から落ちた雫は、まあるい小さな水たまりを作っている。
「おかえりなさい」という前に
「ありがとう」と言っていた。
雨に濡れてくたびれた花束と、色の変わった革製のビジネスバッグを受け取りながら思う。
夫婦の時間が何年も何年も続いて、もしも『亭主、元気で、留守がいい』なんて考えてしまうことがあったら、今日のことをちゃんと思い出そう。嬉しかったことを思い出そう。
離れていた三年間が淋しかったことを思い出そう。
同じ雨音に気づけなかったことを思い出そう。
瑛太の優しや、思いやりを忘れそうになったことを思い出そう。
そんなだめな私のために、素敵なサプライズをくれたことを思い出そう。
二人で長い長い時を歩いていきたい。
〈fin〉
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