昇降口のショート・ロマンス

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 あー。どうしよう。  また一ヶ月前に記憶が逆戻りしてしまう。  電車のガラス越しに見えた傘の君のはにかみ笑顔と、びっくりしたような、がっかりしたような曇り顔。思い出す毎に前者の顔がよく出てきたのに一瞬で過去の暗い彼が顔を出した。  あの時、何て言えば良かったんだろう。またこの悩みだ。  ごめんしか言えなかった私。きっとあの時はそれが正解だった。じゃあ今は?  また同じように傘を突き出してくれないかな、なんて都合のいいことを考えて、でもまた走って駅まで向かえば大丈夫かも、なんて現実的なことも考えていた。正反対のことは同時に考えやすいものだ。  雨が止むまで待つのもいいかな。幸いなことに今日も帰ってからの予定はない。のんびりとグラウンドに叩きつけられる雨を観察するのも中々悪くないんじゃない?  折りたたみ傘を開いてそそくさと帰って行く同級生の子を横目に、邪魔にならない――昇降口のすみっこ――に体を寄りかからせて目を閉じる。  こうすれば、誰に見られていても、私は誰が見ているかは分からない。ちょっとは羞恥心も収まるってもんだ。それに、壁と同化しちゃったみたい。自分は壁の一部。雨の音を聞く、耳を持った壁。  雨が止むのを口実に、別のものを待っている。  私のヨコシマがむくりと顔をもたげる。正直になれよって、囁かれる。  ただ、ちょっとだけ、その、話しかけてくれないかなって。  また傘の君が、私に気付いてくれないかなって。  時間が一ヶ月前に遡って、もう一回やり直せたらって思う。  私の殻を傘で突き破ろうとした傘の君。  私は、私だけの妄想の世界から一歩外に出なくちゃいけない。妄想の彼とは会話もできない。
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