この雨が聞こえているうちは

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 やがて本を読み終えた僕は、空になったコーヒーカップをキッチンの方へ持っていった。  結局その小説の展開は、雨の降っていた屋上に偶然女性が訪れて、雨のなか何してるんですか、と主人公に声をかける。実は女性の方も仕事に悩みをかかえていて、気分転換のために一人で屋上に来ていた。  一人で悩んでいたことでも、それが二人になると、少しでも気持ちが楽になる。お互いに悩みを相談しながら、二人は次第に仲を深めていく。  その後社内でのいろんないざこざにも巻き込まれるが、最終的には二人でそれを乗り越えて、主人公の告白をきっかけに関係が進展していく、という、言ってしまえばオーソドックスなタイプのお仕事系恋愛小説だった。  しかし、その穏やかな文章と淡い心情の表現力。そして何よりも、暗い雰囲気を醸し出していた雨のシーンを起点にして、物語や主人公の心理が少しずついい方向に進んでいく、というのに好感を持った。この話は、雨というものを単に憂鬱なものだけとして扱わなかったということだ。  シンクに持ってきたコーヒーカップ洗おうとしたとき、そういえば、彼女の分を持ってくるのを忘れたことに気付いた。リビングに戻り、ソファーの横を通り抜ける。テレビ台の横にあるタンス、そしてその上に乗っているコーヒーカップを手に取った。  そして、そのカップの前に置いてあった、彼女の写真に目を向ける。相変わらず、いい笑顔をしているな、と思った。ついこちらまで笑顔にさせられるような、不思議な力を持った微笑み。  彼女は最後まで、その向日葵のような笑顔を絶やさなかった。  写真の中で彼女が持っている黄色の傘は僕が何気なくプレゼントしたもので、傘が好きだと言っていた彼女はそれをとても喜んでくれた。雨降りの休日にその傘を持って散歩をしたいと言い、そのときに撮った写真だった。
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