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深夜、私は雨の降る中、ひとりで母と散歩した道を歩いた。雨は幾分、勢いを増していた。
傘も差さず、濡れていくこともお構いなしに私は歩き続けた。髪から滴る雨粒がすっと肩口に染み込んでいく。
雨が好きだった。母との想い出もあるし、棘ついた心を落ち着かせてくれるし、悠久の象徴みたいでロマンチックでもあるから。
でも今宵の雨は違った。怒りや哀しみ、虚しさが衣服を通して私の身体にべったりと貼り付いて離れない。初めての感覚だった。
残された時間はあとどれくらいなのか、そもそも残された、というのは正しい表現なのか? 母が私を忘れても母は生きている。それならば満足できるのか? 私は今まで通りの母であってほしい、ただそれだけ。それは贅沢なのか? 私を忘れたら、母はもう母ではないのか? 違う、そんなことない。でも理屈じゃない。そんな理屈で片付けられる話なんかじゃ――。
ねえ、誰か教えてよ。哀しみがなくなる方法を――誰か。
ふらふらと歩いているうちに、あの川に辿り着いていた。雨に濡れた草花を踏みしめながら土手を降りる。川の流れは思いの外緩やかで、水面に雨の波紋が見て取れた。
濡れるのもお構いなしに川へと入る。子どもの頃はある程度深いと思っていたが、岸よりの方は膝丈にも届かなかった。誘われるように川の中央付近まで進むと、太ももくらいまでの深さになった。
聞こえるのは、雨の音だけだった。本当に、それだけ。
水面を両手で叩いた。思い切り、何度も、何度も。水の弾ける音が、跳ねては闇に溶ける。消えるな、壊れろ世界と願いながら、重い水を蹴り上げる。
足を取られて背中から水面に倒れこんだ。耳に、目に、口に水が流れ込む。むせながらも、私はそのまま浮かんでいた。目をこすり、闇を見つめる。土手の上の街灯に照らされた雨が、白い線になって見えた。
「あぁ……」
耳が水に浸かっているから、雨の音も聴こえない。
思っているより、自分の声が野太く聞こえるだけ。
「ああああああああぁぁぁーっ!」
泣いた、というより吠えた。
誰に届けと願うわけでもなく、本能のままに吠えた。
私の中に残る祈りや魂をすべて、涙とともに放ちたかった。いっそ枯れてほしかった。枯れて涸れて、私の中に何も残らなければいい。
雨に始まり雨に終わる。
あの日の想い出を雨と共に、再びそっとパンドラの箱に戻した。雨は何食わぬ顔で、延々と降り続けた。
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