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 暦の上では夏も終わった初秋の頃。母の症状は予想以上に早く進行し、私たち家族のことを認識することができなくなっていた。  あんなに強くやさしく、たくましかった母は時に無邪気な子供のように、時に孤独に苛まれる少女のように、気が向くままに振舞っていた。私たち家族は、母の夫として、娘として、娘婿として、孫として、母に接することを辞めなかった。それが母の尊厳を保つ、私たちに許された唯一の行いであると信じていたから。  あれからも私は何度も泣いた。いつかは涸れると願って日々泣き明かした。でも悔しいかな、涙は涸れないしお腹も空けば眠くもなる。つくづく人間の身体は合理的にできているのだなと痛感した。  生きているとは言えないのかもしれない。生理的なルーティンは意思がなくとも行われる。それでも死のうとしないのは、私を認め、信じてくれる家族がいるからかもしれない。 「僕にも君の辛さや苦しさ、一緒に背負わせてほしい」 「恩返しはあたしとあんた、ふたりで初めて意味になるんだよ」 「おばあちゃんがね、ママは天使だって言ってたよ!」 「俺らんとこ、帰って来てくれてありがとな」  贅沢なのかもしれない。ただですら母があんな状態で、心穏やかでいられるはずもない家族は、けっして私のことも諦めようとはしなかった。これを恵まれていると言わずしてなんと言う?  心の中ではわかっているつもり。「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返しながら、私は私の歩ける速さで、みんなに応えたいと思っている。  願わくば、今の私を母に見てほしい。そんなことを、夢に見ながら。
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