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突然のことで戸惑ったが、私は見逃さなかった。記憶と重なる母の表情を。
すっかり歳をとって皺だらけの顔のはずなのに何も変わらない、やさしさと喜びに満ちた笑顔。忘れるわけがなかった。
身体が自然と動いていた。急いで自分の部屋へ行き、押し入れから傘を取り出した。あのとき母に買ってもらった、私の傘を。
靴も履かずに飛び出した。足を引きずりながら歩く母に追いつき、回り込んで叫んだ。
「お母さん!」
ばさり、と傘を開く。
母はその場に立ち止まって、目を大きく見開いた。
「これならっ……雨の日でも私のこと。すぐ見つけられる、よね?」
あの雨から一番遠い場所。たとえどんなに遠くても、母はかならずこの場所へ帰ってくる。そう信じて。
「見つけて、くれる……よね?」
目の前が突然歪んだ。
それがこれまでで一番温かい涙のせいだと気付いたのは、母が私の頭を撫でてくれたときだった。
「あのとき言ったじゃない。これならどこにいたってすぐ優ちゃんってわかるって」
私はすがるように母に抱き着いて、小さな子どものように泣いた。泣きながら、声にならない声で私は歌った。
「あめあめふれふれ、かあさんが……じゃのめで、おむかえ、うれしいなぁ」
「あらあら、優ちゃんご機嫌ねぇ」
魔法の傘は、二人分にはあまりにも小さすぎた。
それでも私たちはその傘の中に留まり続けた。
母はあのときのまま、何も変わってなどいなかった。
それは一瞬のことかもしれない。でも、永遠とも呼べるかもしれない。
雨も傘も、母も、私も、みんなも誰も。たしかにここにいて、いつかは還るのだと知った。現に私たちは、ここにいる。
雨は素知らぬ顔で流れていく。
どことも知らぬ場所で、また降るために。
~fin.~
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