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 最近、雨の日は決まってあの頃の夢を見る。  まだ世界の仕組みも知らなくて、純粋でただひたすらに無垢で無邪気で、雨と母が大好きだったあの頃を。  大学を卒業して、田舎には帰らず東京で就職し、そのまま十五年が経った。職場恋愛で結婚して、今では九歳の息子と七歳の娘がいる。  子どもたちの成長はものすごく早くて、母親になったことへのミーハーな気持ちなど束の間、忙しさに追われて気が付けばもうこんなだ。  憧れ、尊敬し、大好きだった母も、私たち姉妹を同じように育ててきたのだろうと考えると、それだけで母の偉大さに辟易する。  母親になって、時が経つにつれて思う。私はどれだけ子供たちに母親をしてやれているだろうかと。母親なんて思っているのは私だけで、実は面倒見てくれてるただの大人の女の人、なんて思われているんじゃないかって疑心暗鬼になって暗く沈むこともある。  私が母に対してそんなことを露ほども思っていなかったから、それは考えすぎだと、思いたい。  夫も私も、未だに同じ職場で仕事を続けている。  私の職場では社内恋愛で結婚したら寿退社することが通例だった。仕事を続けると言ったときには上司や同僚にずいぶん驚かれたものだ。職場では男尊女卑というほどではないが、女ということを理由に時代錯誤なことを多く囁かれた。 「職場に残ったら育児休暇取るんだろ、どうせ」 「そのしわ寄せがなあ、だったら最初から結婚したときに辞めてりゃいいのに」 「女はいいよな、俺たちにはない長期休暇があって」  覚悟はしていたけど、実際に耳に入ってしまうとやはりしんどかった。男社会である以上、女や母親の権利は弱い。  だからこそ、強く生きなければならなかった。  差別だ、女性に権利を、と叫ぶことは簡単だ。だがそれだけで得られた権利に何の力もないことはわかっている。何より、それを差別だと叫んで相手を糾弾することが正義みたいな風潮になってしまえば、それこそ差別だと私は思う。どちらか一方を守るだけの権利など差別そのものだ。だから私はどんな状況でも周囲と遜色ない結果を出す。それが母親であり女である者の使命とさえ思えるから。  しかし、その生き方はいつしか盲目なものへとなっていた。  現実に追われる毎日。仕事は残業続きで定時になんか上がれない。帰る頃にはお腹を空かせた子どもたちが待っている。急いで支度をして、簡単なもので夕食を済ませ、子どもたちがお風呂に入ってるうちに夫の夕飯を準備する。夫は管理職のため私よりさらに帰りが遅い。子どもたちを寝かしつけて、合間に簡単な家事をしていると夫が帰ってくる。せっかく用意した夕飯も、まず風呂だと言って後回しにされることもある。そんなときは待っていられないから、翌日の準備をささっと済ませて先に寝る。起きたらまた戦争の日々。  こんなループを繰り返して、気が付けば十年弱。実家にはもう五年以上帰っていなかった。
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