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ここは東京都内のとある小学校の通学路。この通学路では雨の日に少し不思議な光景が見られる。それは傘を二本差して登下校する少女がいるからだ。
その少女の名前はサナエという。小学五年生の明るいごく普通の女の子だが、この雨の日の登下校時に限ってだけは違った。
サナエはなぜか傘を二本差して歩いた。一つは黒い、どこにでもありそうな傘だが、小学生の女子が差す傘としては少し大きく、余りに地味だ。
そしてもう一つの傘は黄色い小ぶりの傘。傘にはアニメのキャラクターがプリントされていて、明らかにサナエよりも年下の子供が差しそうな傘だ。二つの傘両方ともにこの年齢の女性が差す傘としては違和感を覚えさせる。
しかしサナエはそんなことは全く気にしていない様子で、平然とした様子で登下校をしていた。
はじめは周りの同級生たちも不思議に思ってサナエに色々と尋ねた。しかしサナエはいつも笑って曖昧な回答をするだけなので、周りもやがてあまり聞かない方がよさそうな気がしてきて、やがて誰もその事には触れなくなった。
なによりそのこと以外はごく普通の女の子なのだ。男女分け隔てなく明るく接するので、サナエはクラスでは人気者の方に属している。
この年も梅雨の季節がやって来た。サナエにとっては憂鬱な季節だ。この日も一日雨の予報だった。サナエが家を出る際、傘立てから黒い傘と黄色の傘二本とって家を出ようとすると、
「またその黄色い傘も持っていくの?」
後ろから尋ねたのはサナエの母親だった。
「うん」
「サナエには小さすぎるでじょ?」
「そんなことないよ」
「その傘、クラスの友達にもらったんだっけ?」
「そう」
「もう一本の傘もお父さんの傘だし」
「いいでしょ、べつに」
サナエは母親をじっとみつめた。彼女の母親はあまりこだわらないタイプの女性で、彼女は娘が傘を二本差して登下校するという行為は知っていたが、特に注意することはなかった。
「まあいいけどさ。じゃ、いってらっしゃい」
そう言って手を振る母親を無視してサナエは家を出た。母親に対して申し訳ない気持ちを抱きながら。黄色い傘は友達から貰ったものではなかった。
サナエの傘の差し方は黒い傘がメインで、黄色い傘は黒い傘の後ろに、ランドセルを隠すような形で差している。傘同士が当たるし、傘を持つ手で両手が塞がってしまうので、正直に言ってとても歩きにくい。でもサナエはそんな様子は全く出さずに歩いた。見る者から絶対にそう思わせてはならないという気合すら感じさせた。この日もサナエに声を掛ける者はいなかった。雨が傘に当たる音だけがサナエの耳に響き渡る。
しかしあと五十メートルほどで学校に着く、というところでサナエは声を掛けられた。振り向くと同じクラスの男子のユズルだ。不思議そうな顔でサナエを見つめる。
「お前どうして傘二本も差してるの?」
「え?」
サナエは久し振りに聞かれたと思った。その理由は明白だった。ユズルは二カ月前に隣町からこの地に引っ越してきた転校生だったからだ。いつもは遅刻ギリギリに来るような生徒だが、この日はたまたま早く家を出たのだった。
「いや、あの」
久しく聞かれていなかったのでサナエはうろたえた。上手くごまかそうと思っても言葉が出ない。
「しかもこんな大人が差すような真っ黒な傘と、もう一本は逆に小さい傘。なんでこんな事してんの?」
ユズルは少年らしいキラキラした目で聞いて来る。特に悪気はなく、純粋に疑問に思っているのだろう。サナエはこの人になら言ってもいいかな、と思った。何よりも黙り続けていることに疲れ果てていた。
「うん…、あのね」
二人は並んで歩いていた。サナエがユズルの方を向くと、ユズルはじっとサナエを見つめている。いざ話そうとするととても緊張したが、その目を見てサナエの気持ちは少し落ち着きを取り戻した。
「半年ぐらい前にさ、あの酒屋さんの前の交差点で交通事故があったの」
「ああ。あの?」
そう言ってユズルは後方を指差した。
「そう。私はその日体調が悪くて昼前に学校を早退したの。それで帰り道にその事故を目の前で見ちゃって」
「へえ」
「自転車に乗った女の人が車に轢かれて。その女の人の方は全く動かなくなっちゃって。とっても怖かった」
「…死んじゃったの?」
「わからない。すぐに救急車が来て、女の人は運ばれて行ったから。その時その女の人が自転車のカゴにいれていたのがこの黄色い傘」
サナエは黄色い傘を前に持ってきてユズルに見せた。
「たぶん学校にいる自分の子供に届けようとしていたんだと思う。その日は午後から雨が降るって言っていたから」
「…そうか。で、なんでその傘をおまえが持ってるの?」
「それは…」
サナエは口ごもった。ユズルはそれ以上は聞かずにサナエが答えるのを待った。
「事故の時に私の前に落ちて来て、私はとっさに拾ったの。誰かに渡そうかと思ったんだけど、警察の人が来る前に私怖くなってその場を離れちゃって」
「傘持ったまま?」
「そう。自分でもどうしてそうしたのか分からないんだけど…」
そう言うとサナエは黙り込んだ。しかし改めてユズルをじっと見つめて、
「でもたぶん、あの女の人がどうなったのか知りたかったんだと思う。結局その女の人はうちの学校の生徒のお母さんじゃなかった。事故の事は学校でもすごい話題になったけど、結局誰のお母さんかは分からなかった。だから私はこの傘を差して…」
ユズルは少し考えた後に、
「その事故にあった女の人がこの傘を見つけてくれるのを待っていたのか」
サナエは頷いた。
ユズルはしばらくの間黙っていたが、
「あのさ」
「なに?」
サナエは怒られるような気がして胸がドキドキした。
「その女の人、俺のお母さんだ。たぶん」
ユズルはそう言って笑った。
「えっ?」
サナエは驚く。
「俺のお母さん、その時期にこの辺で事故ったんだ。今は辞めちゃったけど、午前中の短い時間だけこの辺りでアルバイトしていたんだ。その帰りに俺の弟に学校へ傘を届けに行く時に事故に会ったから、多分間違いないよ」
「それで、お母さんは?」
「いや、元気だよ。頭何針か縫ったけど、今はピンピンしてる」
ユズルは無邪気に笑っている。
「本当?」
「本当本当。だから心配いらないよ。この傘、俺がお母さんに渡しとくよ。俺は自分のじゃないからこの傘覚えてないけど、お母さんか弟は覚えているはずだから」
ユズルは手を伸ばしてサナエから傘を受け取り、
「ありがとうな。今まで心配してくれて。お母さんによく言っとくよ。ホントあの人おっちょこちょいなんだよ!」
そう言うとユズルは豪快に笑った。その笑顔を見てようやく安堵に包まれたサナエも釣られて笑った。やがてその両目から大粒の涙がいくつも流れ落ちて、サナエは泣き笑いになった。その姿を見てユズルは、
「交番とか行けば、すぐに教えてくれただろ」
「そうなんだけど、もし最悪の結果だったらと思うと怖くて…」
サナエの黒い大きな傘に雨音が響く。少しでも黄色い傘が目立つように、と彼女が考えて選んだ傘だった。
黄色い傘はやはりユズルの弟の物だった。何日かしてユズルはサナエに一通の手紙を渡した。ユズルの母からだった。心配をかけてしまったことへの謝罪と、ぜひ一度家に遊びに来て欲しいという事が記されていた。
後日、サナエはユズルの家へ遊びに行った。その日も雨だった。サナエその年頃の女の子が差すような淡いピンク色の傘を差して、ユズルと二人で談笑しなから彼の家へと歩いて行った。
終
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