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Black Widowers5
性病は娼婦の職業病。
避妊にトチり堕胎を望む女は言うに及ばず、客の好みや流行に応じ顔や体をいじったり、医者が処方するピルやモルヒネ目当てに通うものもいる。
中には堕胎医と整形外科医を兼ねる節操なしもおり、ドブさらいの何でも屋扱いされている。
アンデッドエンドで不祥事を起こした医者が、ノイジーヘブンに流れ着いて開業するケースはよく聞く。
今しも一人の男がコンクリ壁に靴音を響かせ、闇医者の塒に通じる階段を下りていく。
鍛え上げた細身に纏うのはド派手なパイソンのブーツとレザーパンツ。
ショッキングピンクのベリーショートの下、琥珀のサングラスの奥には瞳孔が縦長の蛇の瞳が透けている。右半身を覆ううろこは爬虫類のミュータントの証。
イロモノにキワモノを合わせたファッションがゲテモノに堕す一歩手前でとどまっているのは、颯爽と歩く姿から溢れ出す、傲慢なまでの自信と貫禄によるものか。頬骨が高く張った精悍な風貌は男前と言えなくもない反面、気分でキレそうな危うさを感じさせた。
「Itsy Bitsy spider clibing up the spout,Down came the rain and washed the spider out,Out came the sun and dried up all the rain,Now Itsy Bitsy spider went up the spout again」
ちっちゃなクモさん雨樋のぼる、雨降り始めて流される、太陽上って雨があがれば再びクモさんのぼりだす……。
一段一段深まりゆく闇に身を浸し、小さく口ずさむのはこの状況にもってこいのマザーグース。
呉が目を付けた闇医者はノイジ―ヘブンの北エリア、雑居ビルの地下で営業していた。
「Itsy Bitsy spider clibing up the spout,Down came the rain and washed the spider out,Out came the sun and dried up all the rain……」
急傾斜した階段の先には半開きのドアがあり、誘うように細い光が漏れている。
ノブには「Crossed」のプレートが傾いでぶらさがっていたが、迷わず銃をとる。
隙間から漂い出すのは消毒液の匂いと噎せ返るような鉄錆の臭気……鉄火場で嗅ぎ慣れた血の匂い。
おもいきりドアを蹴破る。
酸鼻を極める殺人現場の光景が暴かれた。
タイルが敷き詰められた床はおろか壁や天井、さらには衝立に至るまで赤い血が飛び散り前衛的な模様を描く。鋭利に光るメスや鉗子、注射器もぶちまけられ、点滴スタンドは横倒しになっていた。
ステンレスの診療台には白い布を掛けられたかたまりが寝ている。下半身のフォルムが妙に歪なのは異物を刺されたからか。
「ようこそ巣へ」
ふくらんだ布の手前、セクシーに足を組んで診療台に掛けているのはタイトなナース服の女。両目と口だけ残し、顔に包帯を巻いているのが異様だ。
挨拶代わりに剽げた口笛を吹く。
「一人ハロウィン?しばらく会わねえうちにコスプレ趣味に目覚めちまったのかよ」
入口を塞いで銃を突き付ける。
「随分なご挨拶ね。医者といえばナースでしょ」
「丈があざとすぎ」
「見せてんのよ」
「歳考えろ、キッツイいぜ」
「よくここがわかったわね。元賞金稼ぎの勘は衰え知らずってとこかしら」
呉は顎をしゃくる。
「長年逃げてる賞金首はまず確実に顔を変える。お前の後ろでくたばってるデクは賞金首専門の整形外科医だそうじゃねえか、金さえ積めば首から上を生まれ変わらせてくれるって評判だ」
「付け加えれば、ここは元モルグ。遊び場にはぴったりでしょ」
「後始末の手間が省けるな」
呉は劉と別れブラックウイドウの消息を追っていた。
ブラックウイドウがノイジ―ヘブンで顔をいじったと仮定し、賞金首の整形を専門に手がける闇医者をリストアップしていったのだ。
同じ線で調査している賞金稼ぎは他にもいたが、彼は昔馴染みの行動原理を予想していた。
「巣作りは蜘蛛の十八番ってな」
呉が韜晦した声色で説明し、靴裏で軽くタイルを蹴る。
よく見れば床は傾斜し、中央には丸い排水溝がもうけられていた。洗面台の蛇口にはホースも繋がれている。
「テメェがノイジ―ヘブンにいるって噂が流れて数週間、一向にヤサが割れねえってこたあヤブ医者ぶっ殺して診療所ごと乗っ取った可能性が高ェ。お誂え向きの設備はあるし血はササッと洗い流せるしで、最高の隠れ蓑じゃねえか。ドアに臨時休業の看板ぶらさげときゃ客もこねえ、そもそも無免許のヤブが一人二人消えたって怪しむやからは街にいねえ」
したがって探すのはモルグを改装した、無免許医が運営する診療所。
さらにここ数週間休業中と条件を付ければ、自然と候補は絞られてくる。
「お引っ越しは簡単。糸を伝って行けばいいの」
この顔面包帯女こそ、ブラックウイドウの異名で知られる連続猟奇殺人鬼だ。
二十数年の歳月が経過し声や姿が変わっていても、細かな癖や気配まで欺けない。診療所の惨状を見れば尚更だ。ブラックウイドウが診療台に後ろ手付き、気安い調子で話しだす。
「久しぶりねラトルスネイク。二十何年ぶりかしら、出世したみたいじゃない」
「昔話かよ」
「したくない?」
「長引くなら」
「手短に切り上げるわ」
「仏が腐らねえうちに頼むぜ」
「ありったけ防腐剤ぶっかけたから大丈夫でしょ、中身も抜いて捨てたし」
「剥製でも作んのか」
「この子は昨日寝た娘。お医者のほうは初日に解体して処分済み、だって好みじゃなかったんだもの」
悪戯っぽく訂正し、ほんの少し布をめくる。全裸で仰向けていたのははたち前後の小娘だった。殆ど血が抜かれた肌は青ざめ、目は白濁している。死に顔には恐怖と苦痛がこごっていた。
ガラス戸棚に並ぶ硫酸やフッ酸の瓶を無関心に一瞥、呉が鼻白む。
「モーテルで犯り殺すだけじゃ飽き足らずお持ち帰り?いい趣味してるぜ、ったく。屍姦に興奮するとか終わってんじゃねえか」
「蜘蛛は巣を張る生き物よ。お気に入りは糸を吐き付けてぐるぐる巻きにするの」
覗く目元と口元だけで嫣然と笑い、囁く。
「首を持って帰る?それとも生け捕りを命令された?」
「心がけ次第だな」
間合いは計算してある。これ以上は近寄らない。ブラックウイドウがわざとらしく嘆く。
「下剋上の野望を叶える為に恩人を売るなんて、血も涙もない外道になりさがったわね。昔は可愛かったのに」
「血も涙もクソもねえ殺人鬼になりさがったヤツに言われたかねえな。行きずりのケツ凌辱すんのは楽しいか、アナルは工具箱じゃねーんだぞ」
「私たちが手引きしてあげなきゃ今頃……」
銃口をもたげて制す。
「停住、誰が聞いてっかわかんねー」
「死体の耳を気にしてるの?小心者」
「今の俺様ちゃんにゃ立場があるんでな」
心ない薄笑いを交わしたのち、ふいに真顔になる。
「蟲中天を乗っ取るのがあなたの復讐?」
「質問が多い賞金首」
「同じ蟲毒でおいしく食べ合った仲じゃない。そっちこそ、初めての女にもうちょっと優しくしてもばち当たらないでしょ」
片膝立て股を開く。黒いレースに包まれた秘部が垣間見える。
「覚えてる?蛇と蜘蛛の共食いショー」
忘れもしない。ブラックウイドウは呉の童貞を食べた。強烈なスポットライトが当たるステージに呉を押し倒し、跨ったのだ。
「あそこじゃ童貞捨てるのも処女散らすのも金持ち連中の酒の肴の見世物だった。懐かしいわね」
ブラックウイドウの目が遠くを見る。呉の銃口は揺るがない。
「ねえ、覚えてる?アンタにご執心だった調教師、スケイルキラーズ上がりの鬼畜野郎。さんざんオモチャにされたわよね、壊れちゃうんじゃないかってハラハラしたわ」
「あったな、ンなこと」
「精通させられた男の顔忘れるわけないか。そりゃそうよね、上も下も前も後ろもいやってほど仕込まれたもんね」
「脱臼するまで吊られた」
「吐くまでしゃぶらされた」
返り血が禍々しく染めるモルグで対峙する二人の間に、同族嫌悪を足した共感が芽生える。
ブラックウイドウとラトルスネイクは同じ地獄を通ってきた。
呉がトリガーに指をひっかけ、軽快に銃を回す。
「怪我の功名もあったぜ、死ぬほど吊られたおかげで特異体質に気付けた。巷じゃ二重関節とかいうらしいな」
「何それ」
「普通の人間よか関節の可動域が広いヤツの事。二十人に一人の割合で生まれるらしい。特に蛇のミュータントに多いんだとか」
「曲げた親指手の甲に付けたりぱかーんて開脚するアレ?」
二重関節の人間は非常に身体が柔軟であり、常人が必死に訓練しやっと習得する動きを最初から苦もなくこなす。
「雑技団も真っ青な緊縛プレイがきっかけで、俺様ちゃんの秘められた天才性が開花しちまったわけよ」
調教中に偶然発覚したこの特性は、のちに二挺拳銃の反動に耐え、自由自在に扱うはなれ業の獲得に繋がった。
皮肉な見方をすれば、天下無双のガンファイターとして名を馳せ、蟲中天の幹部にのし上がった今の呉があるのは望まざる調教の成果といえた。
「なんにせよアンタに標的が移ってくれてラッキーだったわ、寿命が延びた。でも途中から手出しできなくなって悔しがってたっけ、どうやってご老体に取り入ったの?」
「なんもしてねえ。向こうが勝手に気に入ったんだ」
『美しい鱗じゃね。娘の番にならんか』
「本人は年で勃たなかったけどな。ペットの大蛇と添い寝するだけでご褒美もらえんだからツイてたぜ」
退屈な思い出話を打ち切り、眉間に銃口を擬す。
「で。お前は……なんでそんなザマになっちまったんだ?」
二十数年前のブラックウイドウと目の前の女が上手く重ならない。呉がよく知る少女は、他者の尊厳を凌辱し、悦びを見出すような人間じゃなかったはずだ。
「知ってるくせに」
ブラックウイドウがほくそえみ、顔に巻いた包帯に手をかけ、ゆっくりほどいていく。
賞金首の新しい顔を直視し、酷薄さと軽薄さを等分した表情が強張る。
殺風景なモルグの中心にいたのは、嘗て彼が愛したたった一人の女。
滝のように流れ落ちるストレートの黒髪、凛々しい柳眉の下の切れ長の目、薄く整った唇。
守ってやりたい儚さ可憐さよりも、自らの信念を貫き通す、意志の強さを感じさせる美貌。夜の底に響く鈴に似た、澄んだ声まで思い出せる。
『このクズが二度と子供たちに手出しできないようにしただけよ』
緩慢に瞼が上がっていく。
しっとり濡れた睫毛が震え、黒い瞳が焦点を結ぶ。
『お腹の子の名前はあなたが考えてね、浩然』
何もかもが一番幸せだった頃の記憶そのまま、呉が嘗て撃ち殺した女が息を吹き返し、目の前で微笑んでいる。
「夜鈴」
「あなたがくると思って、この顔にしたの」
ブラックウイドウは诗涵の母親の顔で勝ち誇った。
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