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「兄弟?」
「いない」
「じゃあ、ご両親」
阿南の体が大きく震える。
暁人は、温かいお茶でも飲もうかと腰をあげた。
「芳美」
戸口から池内を呼んで水谷の茶筒を指定する。茶葉の分量、湯の温度、抽出時間を指示して戻る。池内は抗わなかった。諾々と台所へ入っていく。
暁人は阿南を通り越して縁側に出た。軒で弾けた雨粒が裸足の爪先を濡らす。構わずに彼は屈んで板目を跳ねていた小さな蛙を逃がしてやった。蛙は寸の間、人間を警戒するようにこちらを窺ってから前栽に消えた。
池内がマグカップふたつと来客用のティーカップを運んでくる。めいめいに配って自分は戸口に立つ。
薄い黄金色の茶を飲んだ阿南が息をつく。カモミールの薫りが淡く抜ける。
「俺のオリジナルブレンド」
暁人が笑う。阿南もつられてうっすらと笑った。しかしすぐに収める。
「先生はたぶん気づいてるでしょうけど」
カップを弄ぶように両手で包みながら目を伏せる。
「八島を誘ったのは僕です」
呟く阿南はどこかぼんやりと堅牢な木製のローテーブルに目をやっている。池内は心配したけれど、暁人が膝の辺りで左手をひらひらと振るので再び戸口に背をつける。
「この前の交流試合が終わったばっかりであいつは調子が悪くて悩んでた。僕は落ちこんだあいつを慰めたくて。それで」
家人の留守に自室へ誘った。そこに他意はなかった。どうかしようなんてつもりはなかった。
気の塞いだ親友を慰めたかっただけ。八島はベッドに凭れて俯いていて、阿南は週刊の少年漫画を読んでいた。
取り立てて会話はなかった。そんなものが役に立たないことを彼らは知っていた。
いつも通りのたゆたう時間。
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