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雷が。
雷で。
雷だけは。
(そんな言い訳、護衛としてはありえないな)
メリッサの言わんとしていることが何かはわかったが、シャロンの心中はまずもって穏やかだった。
もし自分が男性であれば、ガートルードの縁談に影を落とすほどのスキャンダルになりかねないが、女性なのだ。貞操を脅かすことなどあり得ないのだと、すぐに明らかにすることができる。
シャロンは落ち着き払った動作でガートルードから体を離して、ガゼボに至る小径へと目を向けた。
雷に怯えて我を失っていたせいで索敵の感覚も鈍っていたが、そこにはメリッサを先頭に複数の男女が立っていた。
大方、ガートルードの姿が見えないと騒ぎになり「行方を見た」とメリッサが言って引き連れてきたのだろう。警備担当の衛兵の他にも、貴族の令息令嬢が濡れるのも構わずに興味津々の様子でガゼボをうかがっている。
シャロンは、この上なくきっぱりと言い切った。
「大変か大変ではないかというと、まったく大変ではないです。メリッサ嬢、誤解なさりませんよう」
「あら。誤解の余地などないほど、これは逢引以外の何ものでもないのではなくて。怪しいとは思っていましたけれど、やはりお二人はそういう仲だったのですね」
「結論ありきで話すのはおやめください。メリッサ嬢は私が何者か、正確なところをご存知ない。私がガートルード様に懸想したり、その身を汚すなど、天地がひっくり返ってもありえないことです」
やや小降りになりかけた雨が、さあああ、とささやかな音を響かせ、人々を取り巻く静寂を際立たせる。
「天地が、ひっくり返っても?」
メリッサは、扇を開いて口元を覆った。目が泳ぎ、シャロンの背後に立つガートルードをちらりと見たものの、すぐに逸らしてしまっている。
訂正する箇所はひとつもなかったので、ガートルードは力強く頷いた。
「たしかにガートルード様は日頃、下心むきだしの男性を不用意に近づけません。そうかといって、信奉者のご令嬢のどなたかお一人と深い仲になることもない。いったいその心はどこにあるかと皆さまが気になるのは致し方ないことです。疑いの目が、近しい位置にいる私に向けられるのも、理解はできます。しかし、ありえません。私は絶対に安全だからこそ、ガートルード様のお側に置いて頂いているんです」
「と、とても自信満々でいらっしゃるけれど、果たしてそれは本当なのかしら? ちょっと振り返ってガートルード様のお顔をご覧になってみて?」
目配せとともに顎をしゃくるようにして、メリッサがシャロンの背後を示す。
シャロンはその合図の意味がわからぬまま「必要ありませんよ」と誠実そのものの顔つきで受け合った。
「言葉を重ねるよりも、見せるものを見せてしまった方が早いかもしれませんね。これは想定内の事態で、私も覚悟の上。服を、脱ぎます」
「脱ぐ?」
目を白黒させたメリッサに問われて、シャロンはおっとりと微笑んで頷く。
(お嬢様、男の裸だと思って怯えてらっしゃるに違いない。大丈夫です、見慣れた女性の体です。後ろの男性たちに見られるのは嫌だけど、私が男性と思われたままでガートルード様のスキャンダルになるくらいなら)
シャロンはするりとジャケットを脱ぎ、その下に着ていたベストの釦に手をかける。背後から、手首をがっちりと掴まれた。
「待て」
「ガートルード様。これが一番効果的なんです」
「許さない」
従者が肌を見せるだなんてとんでもない、と抵抗を覚えているのはよくわかるが、シャロンとしてもここは譲れない。
振り返り、顔を強張らせたガートルードを見上げて、シャロンは今一度言った。
「聞き分けてください」
「絶対に嫌だ。シャロンを脱がせるくらいなら、私が脱ぐ」
「なぜ?」
シンプルに聞き返したシャロンの手首から手を離し、ガートルードは居並ぶ面々に鋭い眼光を向ける。
「目をそらすなよ」
「ガートルード様? いったい何を?」
得も言われぬ悪寒に背を震わせ、シャロンは一歩踏み込んだ。その視線の先で、ガートルードは袖口に隠していたナイフをするりと取り出す。片手で襟を掴み、もう一方の手でナイフを構え、止める隙も与えずに前身頃を引き裂いた。
コルセットらしきものは身につけておらず、肌着まですべて。
薄暗い中、青白く光を放つかのような玉の肌。滑らかな胸板。がっしりとして逞しさすら感じさせる肩から鎖骨のライン……。
サァァァァァ……
雨音。
誰も何も言わない凍りついたような時間の末に。
「見た通り、私は男だ。シャロンの貞操を奪うことはあっても、奪われることはない。もちろんシャロンが望むなら、喜んですべてを与えようと思う」
ガートルードの強いまなざしが、シャロンだけに向けられる。息を止めて見守っていたシャロンは、息を止め続けていたが、我に返って脱ぎ捨てたばかりのジャケットを拾い上げる。ガートルードのむきだしの肩から上半身を包み込んだ。
「見せてはいけません!」
「天地をひっくり返せとシャロンが過大な要求をするからだ。これでどうだ、ひっくり返ったか?」
「ひっくり……」
絶句したシャロンの視界で閃く白光。続く稲妻を予期したガートルードが、有無を言わさずにシャロンをその腕に抱き寄せて、閉じ込める。
そして、声もなく立ち尽くす者たちににこりと微笑みかけて「雨がやんだら戻る。先に城に戻っていなさい」と涼し気な声で命じた。
ほとんど霧のようになった雨が、あるか無きかの音で辺りを包み込んでいた。
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