雨と雷鳴に、香り立つ薔薇と君

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 シャロンは、王女殿下の護衛としてどこへ行くにも付き従っているが、素性をあえて喧伝していない。  ことさら伏せているわけではないので調べればすぐにわかる。父は騎士団長で兄も騎士団の要職、武芸に秀でた一家の出身、ガートルードとは幼なじみの間柄。正規ルートで現在の職を得る。ただし、表に出ている情報はそこまで。  騎士団長の父とは、実際のところ伯父と姪の間柄。記憶も曖昧な幼い頃に両親を亡くし、伯父に引き取られ実子のように育てられたのであった。実の両親になぜか性別をごまかして男子として育てられていたシャロンは、肉体的には女性であったが、養育者が変わった後もその事実は伏せられた。  かくして、長じた今となっても男装のままガートルードに仕えている。女性の中にあっては背が高く、鍛え抜かれた体は引き締まっており、剣でも並の相手にひけをとらない。あえて偽らなくても「男性」と認識されているだけに、ガートルードのついでとばかりに構いたがる令嬢には毅然と距離を置いて対応してきた。 (ガートルード様に近づくための手段なのだろうが、私と懇意になろうとする令嬢はこのところ、本当に多い)  この日声をかけてきたメリッサなど、シャロンのつれない態度をものともせず、あろうことか腕に手をかけてしなをつくり、婉然と微笑みかけてきた。 「ずっとシャロン様のことが気になっていたのです。聞けばお家柄も良いですし、騎士団にあってもその実力は高く評価されているのだとか。いつまでも姫様付きということもないでしょうし、いずれは縁組なども」  シャロンは無表情のまま、そっけなく答えた。 「私は今の職務に満足しています。可能な限り王女殿下のお側にお仕えしたく考えております。縁組に関しては、当家は兄がすでに結婚して子宝にも恵まれておりますゆえ、私の身の振りはさほど重要ではありません」 「あれほど美しい姫様のそばに、あなたのように見目麗しい男性が四六時中張り付いているとあっては、姫様の縁談にも障りがありましょう。姫様の幸せを思えばこそ、あなたはあなたできちんと妻を迎え、やましいところなど無いと世に示す必要があるのでは?」    腕に置かれた手を振り払えないまま、シャロンはメリッサを見下ろした。 (やましい? 私が女性であることは、陛下やガートルード様、近しい者は皆知っている。私があの方に懸想し、手を出すなどありえない)  メリッサの爪先が、シャツの布越しにシャロンの肌に食い込む。痛みを覚えて、シャロンは控えめに「メリッサ様」と咎める声を上げた。しかしメリッサは微笑んだまま、さらに力を込めてきた。 「一度、当家のお茶会にもお越しくださいませ。お休みはあるのでしょう?」 (願い出でればもちろん。しかしなぜその貴重な休みを、あなたに使わねばならないのか)  この誘いはいったいなんなのだ? と、シャロンが腑に落ちないものを持て余していたそのとき。 「シャロンは、私の護衛だよ。メリッサ嬢、そのはしたない手を離して」  低く落ち着いた声。風が吹き、すぐそばにガートルードが立った気配。シャロンは思わずその横顔を見た。わずかに視線を上向けたのは、シャロンよりさらにガートルードの背が高いせい。 (はしたないだなんて、ガートルード様、いつになく毒がある)  ガートルードはシャロンを見もしないまま、メリッサの手首を掴みあげてシャロンから強引に離した。  メリッサはといえば、余裕のある態度は崩さずに、顔の前に扇を広げる。 「そういうところですよ、ガートルード様。シャロン様に近づく者があれば男でも女でも構わず徹底的に排除すると、噂になっております。よほどの思い入れが」  ふっ、と目を細めてガートルードは笑みをこぼした。 「あるに決まっている。子どもの頃からずっと一緒なんだ。何人たりとも私とシャロンの間は引き裂けない。シャロンと話したければ、まず私に断ってもらわないと」  横で聞いていたシャロンは、そこでようやく口を挟んだ。 「ガートルード様、逆です。ガートルード様に近づく方々に対し、不適切な接触を断つのが私の仕事であって、私への関わりをガートルード様が管理するというのは、違います」 「違わない。シャロンは私のもの。私のものを私が管理するのは自然なことだ」  強い口調で言い切られ、シャロンは無言でガートルードを見つめた。 (この方は、普段は品行方正なのに、ときどきとても攻撃的になる。こんなわがままな言い方をしなくても)  二人で無言のまま視線を絡めていたそのとき、目の前を何かが横切った。  頬に冷たい雫。  空を見上げると、ぽつぽつと雨が降ってきた。きゃあきゃあと辺りから悲鳴が上がり、かちゃかちゃと食器の触れ合う音や指示を出す声が響く。  護衛の自然な動作として、シャロンはガートルードをかばおうとする。しかしその手首を強い力で掴んだのはガートルードの方で、否やを言わせることもなく「この先のガゼボへ」と言ってシャロンの腕をひいて走り出した。  * * *
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