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さあああ、と霧にも似た細かな雨の降る中、打たれた緑と薔薇の花弁から絡み合うように濃密な匂いが立ち上る。
ガートルードは刈り込まれた草を踏みしめ、シャロンの手首を絶対に離さずに小径を進んで行った。
「城に戻った方が早かったのでは。ガートルード様がいないとわかれば、探されます。今からでも」
指が痛いほどに食い込むのを感じながら、シャロンは控えめに声をかける。
「お前もいないとわかれば、二人で一緒だと勝手に判断するだろう。庭園そのものが、誰でも入れる場所じゃない。さほど大きな問題になるはずもないよ」
「そうは言っても」
(ガートルード様が単独行動をとったのを、目敏い者が見ていたかもしれない。不埒な思いから後をつけられていたら? 何があっても私がお守りするが、危険はできるだけ避けるべきであって)
護衛としての、自信のある無しではない。身の安全を考えれば、叫び声も届かぬほど離れた場所へ来てはいけなかったのだ。今からでも引き返したい、ジャケットを脱いでガートルードにかぶせて。
不安に駆られたシャロンの目に、木立に囲まれたこぢんまりとしたガゼボが飛び込んできた。
ひとまず、雨はしのげる。
激しい雨ではなかったが、衣服はすでに湿り気を帯びて重く、やがて体を冷やすだろう。早めに移動して着替えねばと思いつつ、先を行くガートルードに続いてそこへと向かう。
ひらり。
視界を何かが過ぎった。実体が無く、素早い。
目を瞬くも、すでにそこには何も無い。
(光、のような)
不思議に思いつつ、ガラスドームの下へと足を踏み入れる。柱にはつる草が巻き付いており、床は石、ベンチがひとつ。わざわざ目指すにはいかにも狭く、灌木に目隠しされたそこは逢引用としか思えない。実際、王宮警備として細かく城内外を把握しているシャロンも、存在を知らなかった。
(こんな場所が……)
ガートルードがようやく離してくれた手首をもう一方の手でさすりながら、辺りを見回した刹那。
空気を震わせる、轟音。
稲妻と認識するより早く、シャロンは目の前に立っていたガートルードの体に腕をまわし、背に顔を押し付けた。
ぎゅっと力まかせに抱きつく。
「おっと」
ガートルードの心地よい声が、触れ合った場所から直に響く。
はっと我に帰ってシャロンは飛び退るように離れた。
「申し訳ありません……!」
金の髪に淡く細かく水滴をまとわりつかせたガートルードが、肩越しに振り返って口の端を吊り上げる。
「構わないよ。シャロンは昔から雷が苦手だね。ここには誰もいない。思う存分、私にしがみついていていいんだ。おいで」
体ごと振り返り、ガートルードが両腕を広げる。
雷鳴の不意打ちに驚きすぎていまだ目を潤ませながら、シャロンはガートルードの花の顔を見つめた。
(雷は、雷だけは本当にだめで……。まさか姫様、私が衆人の前で醜態をさらさないようにここに連れ出してくれたんですか……?)
あのまま参加者たちと城内に避難をしても、ひとたび雷が鳴ったら最後、二度と護衛として立ち回れないほど臆病な姿を見せてしまったおそれがある。ガートルードは、あの段階でそれを予知してわざわざ別行動をとったのかと。
「し、しがみつくわけには……」
言ったそばから、ぴかっと閃光が弾けた。
(雷って、どうしてこう予告めいた行動で確実に怯えさせようとするかな!? いやでも、さっきの感じからして結構遠……)
自分に言い聞かせて落ち着こうとしているのに、努力をあざ笑うかの如く、バリリと空気に異音が走り、衝撃が空気を駆け抜けた。
間髪おかず先程よりもずっと近い場所に雷が落ちて、空気も大地もこれ以上ないほど鳴動する。
理性が吹き飛び、シャロンは叫び声すら上げられぬままガートルードの腕に飛び込んだ。待ち構えていたかのように、強く抱きしめられる。
(固い……、前から思っていたけど、ガートルード様のお体はスレンダーで優美だけど、私以上にお胸が無くて……)
他人事ながら妙に不安で落ち着きのない気分になる。いっそのこと「自分には不要なので」とシャロンのささやかな胸の膨らみですら分けて上げたいと思うほどに、完全無欠のガートルードにしては不足を感じる部分と言えるのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ガートルード様をお守りしなければいけないのに」
「気にしないで。君の震えが収まるまでこうしていよう。ちょうど、雨で体も冷えている。私には君のぬくもりが心地よい」
シャロンの体にまわされた腕に、力が込められる。あまりにも強く、シャロンは気が遠のきかけて、ガートルードを見上げた。
「このままではお体によくありません。早く戻らないと」
言ったそばから、ガートルードの向こう側に白い光が見えて、ひっとシャロンは息を呑んだ。引っ込みかけた涙が再びじわりと滲み、その顔を見られまいと俯こうとしたところで、顎に手をあてられる。
「シャロン。怯えちゃって、かわいいね」
「いいえ、姫様。叱ってくださっていいんですよ。こんな頼りない護衛」
「まさか。ああ、でもそうだね、叱っておこう。シャロン、ご令嬢に無体を働いてはいけないと遠慮したのだろうが、掴まれた手を振りほどけないのはいけない。痕になってない? 袖をまくって私によく見せてくれる?」
「大丈夫です。申し訳ありません」
「謝ってばかり。そんなに弱気では悪い相手につけこまれるよ。たとえば私」
ご冗談を、と言おうとしたシャロンの唇に、ガートルードが人差し指の先で触れて軽く押した。
(ガートルード様にこんなことをされるなんて、取り巻きのご令嬢方だったら失神してしまうかも。接し慣れている私でさえ戸惑うのだから)
本格的にからかわれているなぁ、と思っている合間に、辺りが白々とした光に覆われる。また雷がくる、とシャロンは目を瞑りガートルードの首筋に顔を伏せた。
稲妻。
ざあああああ、と勢いを増す雨音。
昼間とは思えないほど薄暗く、水と緑と薔薇の匂いに閉ざされた小さなガゼボに二人きり。離れなければと思うのに、シャロンにとっても包み込んでくれるガートルードの体温は冷えた体に心地よく、離れがたい。どうかすると、このままずっと時間が止まってしまえばいいのにと思ってしまう。そんなことは、ありえないのに。
「ガートルード様、お探ししておりましたのよ。これは大変なところを見てしまいましたわ」
雨音の中やけにくっきりと、メリッサの声が響き渡った。
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