私の雨音

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 小学校に上がる前、一番よく遊んだ事は家で良く一緒に絵を描いた事かな。模造紙の大きな紙に、ある時は動物園を作った。  ゾウやキリン、ライオンを描いて、動物園だから私が通路や柵を描き始めた時、ユウ君は私の手を取って首を横に振った。私が柵を指差して彼を見ると、もう一度首を横に振った。  そして私が途中まで書いた柵の上に何か描き始めた。それは鳥のようだった。ユウ君、絵下手くそだったから、たぶん鳥、としか言えないけど。その鳥の顔がニッコリ笑っているのだけは分かった。次に柵の脇から、猫っぽいものが顔を出しているのを描いた。ニヒルな笑いを醸し出している。  それがあまりに下手くそだったから、私しばらく声なく笑い転げたの覚えてる。それから、私は動物をいっぱい描いた。でも柵は描かなかった。多分「柵はいらないじゃない?」っていうのが彼の言いたかったことだろう。  彼はその後、戦隊ヒーローを描いていた、そしてライオンとウサギを指差して、何かあったら助けるみたいな事を言っていた。たぶんね。  だから動物園が完成した時、動物園とは似ても似つかないものになってたけど、ユウ君は顔を絵の具で汚して満足そうに笑っていた。  出来上がった動物園を壁に飾る。  訳わかんないけど、なんて楽しそうなんだろう。  サプライズだった。  いいな、この柵のない動物園、行ってみたいなと思った。   × × ×  小学生に上がると、私は聾学校に入り、ユウ君は一般の小学校に入った。  それからは、だんだん疎遠になって、ここんところは顔を合わせる事もなかったから尚更ビックリした。相変わらず背は小さかった。  彼は手話で「おはよう」と言った。「おはよう」「ごめん」「ありがとう」「バイバイ」これが彼の話せる手話の全てだ。私はちょっと意地悪く「もう夕方だよ」と手話で返してみた。  ユウ君から「ごめん」と返ってくる。それから「手話、まだ、難しい。手話、習ってる」と返ってきて私はビックリした。そして「どうして? 習ってるの?」って私が返すより早く、ユウ君は「どうした?」「雨」と手話で言って、空を見上げ、私の濡れた格好を見た。  私は「絵画の課題で『雨音』っていう課題が出て『雨音』を知りたかったの」と手話で話してみた。  ユウ君は片手を額に当てて考え込んでいた。  難しすぎたかな「ごめんね」と私は手で謝った。  ユウ君はやがて、両手の指を下にして「雨」、そして親指と人差し指で丸を作り耳に当てた。つまり「音」。そして見つめてきた。  私は頷いて「知りたい」と返した。分かったかな?  しばらくユウ君は黙って何かを考えていた。彼は私の手に傘を持たすと、勢いよく傘の前に飛び出して濡れながら両手を水平に上げて固まった。それから手を上下に動かし始めた。私は読唇術があまり得意じゃなかったけど、彼の口は「ポトポトポト」と言っていた。それはやがて「ポポポ」になったかと思うと「ザーザー」という口元に変わった。それに伴って彼の動作も激しくなった。ランドセルを背負ったままジャンプしては下に手を振り下ろし狂った様に踊りながら、だんだん遠ざかっていく、そして急に動作が小さくなったかと思うと最後にまた「ポタポタ」と口元が動き踊りが止まった。  そして、ふいにバイバイと手を振って雨の中、紫陽花咲く道を駆け抜けて行った。  サプライズ!  私はあっけに取られて、思考がついていかなかったんだけど、何かおかしくなってきた。何だろうあれは? あれが雨音? 目を瞑ると頭の中をあのへんちくりんな踊りが占領する。ダメだダメだ。雨音がこんな変な形になっちゃうよ。私は頭を振り払い上を見た。アッ! 傘…… 私は紺色の傘を握りしめて、濡れて帰ったユウ君をバカだなあって思った。  でも、雨音って悪くないなとも思った。  結局、この時の課題「雨音」はあまり深く考えず紫陽花を描いた。ユウ君のあの踊りが頭から離れなくて、なんかまじめに「雨音」を考えるのがバカらしくなったから。そしたらね、結構いい絵が描けたんだ。ちょっと不思議。飾ってもらえたよ。へへへ。  それから私は中学生になっても相変わらず絵を描き続けている。もっと上手に描きたい。美大に行きたいという目標もできた。だけどそれと共に絵を描くのがしんどくもなった。  そんな時、次のユウ君のサプライズが中学1年生の文化祭でやってきた。
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