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「はい、着いたよ~」
腕を引かれるままに車を降りれば、豪奢な扉に目を奪われる。黒地に金の装飾が施されたそれは、見上るほどに大きかった。
扉でそんな様子なのだから、外観なんてお察しである。
敢えて言うなら権力の象徴。
同じ洋風の造りでありながら、朔魔とは明らかに規模が違う。けれど、下品に見えないところが流石レヴィアタンとも言えるのだ。
──青いカーペットが敷き詰められた廊下を抜けて、琉架の部屋へと足を進める。
もうここまで来たら引き返せない。無理に帰ろうと抵抗するより、さっさと準備を終わらせて、客室のソファで寝転がった方が効率的だ。
「で、準備って何だよ。お前が無理やり連れてきたせいで、俺、服も何も持ってきてないぞ」
「あはっ当たり前じゃん。何のために連れてきたと思ってるのぉ?」
琉架の部屋から繋がる扉。そこを開けば、部屋中にずらりと並んだ服、服、服。思わず顔が引き攣って、引き返そうと足を引く。けれど肩を掴まれて、眩しい笑顔で引き止められた。
「ね、みつる。今日は俺が上から下までぜぇ~んぶコーディネートしてあげる。嬉しいでしょ?」
ああ、語尾にハートがついている。なんて、そんなはずがないだろう。意図して吐き出された甘ったるい声音は、逃すつもりはないという悪魔の呪言だ。
「………お手柔らかにお願いします」
諦め混じりの声を吐けば、それと同時に、部屋の扉は閉まっていった。
▽
震える足で一歩を踏み出す。
精緻な彫刻が施された手摺は、正しく本来の意味で使われることに、さぞかし驚いていることだろう。けれどこちらも必死なのだ。
容赦なく掴んだ両手で体重をかけ、ゆっくりゆっくり足を下ろす。隣できゃらきゃらと笑っている男が心底憎らしかった。
「あははっ、みつる下手すぎ~!」
「……お前ッ、お前のせいだからな!? なんでヒールなんて履かせるんだよ!! 俺は男だぞ!!」
「やだなぁ、そんな考え今更古いよ。それにハイヒールは、もともと男性用に考えられたものなんだし」
「え、そうなのか?」
「うん。まあ今は女性用が主流だけど、みつるが履いてるのはちゃんと男性用だよ。サイズもぴったりでしょ」
意外な歴史に驚きながらも、また一歩足を下ろす。確かにサイズはぴったりだけど、つま先立ちのような格好が、そもそも不安定で怖いのだ。
──首元にまで及ぶ精緻なレース。黒薔薇をモチーフにしたハイヒール。
現在光が身に纏っているのは、スーツというより、パンツドレスに近しいものだった。レヴィアディアの新作らしいのだが、どう考えてもサイズが女性のそれではない。
裾が広がった細身のパンツは足のラインを際立たせ、薄紫のチュールが、それを幾重にも覆い隠している。
一見華やかではあるが、バッスル部分に濃紫色のシルクシフォンが使われているため、伝統ある朔魔のイメージも損ねない。レースの手袋やツノ飾りも同じく濃紫のものに統一され、光の髪や瞳によく馴染んでいた。
ただ一点、耳元にだけは鮮やかなオレンジダイヤモンドが輝いている。琉架曰く"魔除け"らしいが、自分が何の子孫か忘れたのだろうか。
「もう、そんなんじゃ遅れるよぉ? 手摺に掴まるくらいなら、俺が支えてあげるのに~」
「馬鹿! お前は揺れるけど手摺は揺れないだろうが!」
「……判断基準そこぉ?」
そこ、不満げな顔をするな。どう考えても手摺の方が安定するだろうが。
やいやいと言い合いながら、ようやく最後の段差を降りる。けれど、その瞬間ある事に気づいた。
「手摺が……ない……!!」
「そりゃあ階段にしかつけないよねぇ……」
呆れたような目で見つめられ、言葉に詰まる。階段を降りるのに必死で、その先まで考えていなかったのだ。
「お手をどうぞぉ? お姫様」
「……お前、もう一回その言い方したら、二度と口聞かないからな」
差し出された右手を掴むのも何だか癪で、せめてもの抵抗に二の腕のあたりを鷲掴む。皺になろうが知った事か。
思いきりべえっと舌を出せば、琉架は何かを我慢するような顔をして、僅かに肩を震わせた。
……怒ってる怒ってる。その様子に内心ほくそ笑みながら、俺は目の前の扉へと、震える足を進めるのであった。
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