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旧校舎の裏に、ぽつんと置いてある古びたベンチ。屋根も壁もないけれど、そこは誰にも見つからない、自分だけの特等席だ。
案の定、ぐちゃぐちゃになった弁当を食べながら、スマホに指を滑らせる。行儀が悪いとは思うけど、昨日買った小説の続きが、早く読みたくて仕方なかった。
紙のページを捲るあの感覚は、何にも変え難いものだけど、どこでも手軽に楽しめるという点では電子書籍も素晴らしい。
読みかけのページを開くと、ちょうど主人公が戦い始めたシーンだった。心躍るような激しいバトルが、文字の上で繰り広げられていく。
(……まぁ、どうせこの後負けるんだけど)
この小説は8000年前に書かれた冒険譚のリメイクで、元々あらすじは知っていた。
魔物を退治するため一人旅立った青年が、千の山を超え、奈落の洞窟を進み、仲間と共に巨悪を倒す物語。この青年が後に勇者と呼ばれる存在であり、倒された巨悪が俺のご先祖様というわけだ。
俺は別に一族の誇りになんて興味がない。面白いものは読みたいし、気に入ったなら手元に置きたい……というか、売上に貢献したい。
でも万が一、こんなものを読んでいるとバレてしまったら、ねちねちねちねち説教されるのは目に見えている。だから、電子書籍を選んだのだ。
まさに文明の利器さまさまである。
「なーに読んでるの?」
しばらく本を読み進めていると、頭上に大きな影がかかった。形式的に振り向きはしたけれど、思いつく相手なんて一人しかいない。
「惡澤! 今日は遅かったな」
「お綺麗な天使サマに追いかけ回されてさぁ。なーんも悪いことなんてしてないってのに迷惑なやつ~」
「はぁ……お前も大変だな……」
スマホと弁当を横に置いて、しょぼくれている頭をよしよしと撫でてやる。こいつの名前は惡澤琉架。悪魔の子孫であり、俺が素を出せる唯一の友達だ。
「みつる、撫でるの上手くなったね~」
「……そうか?」
上手……いや、上手ではないと思う。だって俺が手を動かす度、綺麗に編み込まれた銀髪がはらはらと解けていくのだ。手を止めようか迷ったけれど、本人が嬉しそうだから、気にしないで続けることにした。
こうして惡澤の髪を触っていると、ふと、出会った当時のことを思い出す。
初めに遭遇した時は泥まみれで、落ち葉や木の枝、果ては蜘蛛の巣まで引っ付いて、なんとも酷い有様だった。その風貌に、どこの山姥が降りてきたのかと本気で疑ったほどである。だって、この学園自体が山に囲まれているから、割とあり得ることなのだ。
『ぶぎゃっっっ!!!』
そんなこんなで逃げ出そうとした時、俺の目の前で山姥(仮)が転んだ。それも頭から思いっきり。
目の前で殺人鬼が転んだら、普通は放置して逃げるだろうし、俺も普段ならばそうしていた。でも、気づいた時には手を差し出していたのだ。
理由なんて一つしかない。そいつの頭に生えていた、ヤギのような黒いツノを、うっかり目にしてしまったからである。
――はい回想終わり。
同じ嫌われ者の家系ということで、俺と惡澤は面白いくらいに仲良くなった。いやぁ、人って見た目じゃわからないもんだよな。しかも惡澤は天使に、俺は勇者の子孫に追いかけ回されているから、境遇までよく似ている。
まさに奇跡的とも言うべき出会いではあるけれど、半年以上経った今でも、俺たちは互いの名前しか知らない。……といっても、俺の場合は朔魔の名前で大体察しがつくだろうし、視覚的にわかることもいくつかある。
その最たるものが制服だ。惡澤の制服は間違いなく中等部のものだし、ネクタイの色からして三年生。一つ下にこんな――ネオンを巻きつけたグッピーみたいな奴がいれば、流石に気づかないはずがないから、多分転入生か何かだろう。
けど、それを指摘することは絶対にしないと決めていた。昼休みになればここに来て、ふらっと話して、するっと別れる。後腐れのないオトモダチは、思った以上に心地よかった。
下手に詮索して今の関係性を崩してしまうくらいなら、いっそ何も知らない方がいい。そう思うくらいには、惡澤のことを気に入っていたのだ。
「もうさぁ~、どうせ何しても追いかけられるんだから、我慢するだけ無駄じゃない? 天使サマが窒息死とかどう? 廊下にいるのに溺死とか、絶対面白いよね」
「はいはい、やらないお前は偉いよ。ほら、卵焼きあげようか」
「えー何その犬の餌みたいなやつ……。不味そうだからいらなーい」
卵焼き(だったもの)を掴んで口元に持っていくと、惡澤はぷいと顔を背けた。犬の餌だなんて失礼な、正確に言えば俺の餌だぞ。
いくら待っても口を開く気配がないので、諦めて自分の口に放り込んだ。卵と出汁とそれに混ざった煮物の味、別に食べられない程じゃないのに。
「いい加減その悪食やめたらぁ? 見てるこっちが不味くなるんだけど~」
「え、これ悪食なのか……?」
「どう考えても悪食でしょ、折角のお弁当が可哀想~」
「いや、俺の方が可哀想だろ。あいつさえいなければ毎日ぐちゃぐちゃの弁当を食べる必要もないんだぞ?」
「そうだったぁ。みつる可哀想~」
今日も今日とて不幸トークを繰り広げていると、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
はぁ、またあの教室に戻るのか……。
このままサボってしまいたかったけど、学生として最低限の義務は果たさなければ、両親と親戚一同が黙ってはいない。
残った弁当を急いで食べ終わり、重い足を引き摺っては、再び牢獄のような教室へと戻るのだった。
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