それはまだ序章にすぎない

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それはまだ序章にすぎない

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ねぇ、ゆーかいしてあげようか」  眠たくなるようなクラシック、ヘンテコな大人たちの会話。つまらないって顔に書いてあるのに、ただじっといい子で座ってる。まるで動かないぬいぐるみ。金色でふわふわしてるから、テディベアと呼ぶことにしよう。 「ゆーかいって何?」 「知らないの? わるい人がね、いい子を連れてっちゃうんだよ」 「俺、いい子じゃないよ」 「いい子だよ。こーんなつまんないとこに、ヤな顔しないで座ってるもん」 「でも――」  ダメな理由ばかりを探して、テディベアは動こうとしない。いい加減めんどうになって、何も入っていないほっぺたを、わざと空気でふくらました。 「もう、しつこいなぁ。とにかく、俺にゆーかいされたって言えばいいの! わかった?」 「でも、そんなことしたら、君がしかられちゃう」  おどろきに、思わず目を見ひらいた。  テディベア、君ってやっぱりいい子だね。でもさ、俺はだいじょうぶ。すっごく優しい兄さんがいるし、それに、それにね―― 「***********」  ふふふ、兄さんのマネをして笑ってみたら、なんだかカッコよくなれた気がした。さいごの仕上げに手をさし出して、もう一回だけチャンスをあげる。 「どう? 俺にゆーかいされてみる?」 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  都会の喧騒を抜けてしばらく歩くと、時代に取り残され、不自然に残った山々が見えてくる。  その広大な敷地の中にあるのが、何度も増改築を繰り返した摩訶不思議な校舎 ――私立御伽(おんとぎ)学園の中等部と高等部だ。  選び抜かれた名家の子女が多く通い、その情報は何故か一切出てこない。曰く付き……いやいや、由緒正しき名門校なのである。 * 「光、テストどうだった?」  目の前には嫌味ったらしいほどに爽やかな笑みを浮かべた男。窓から入ってくる風が、蜂蜜色の髪をふわりと揺らしていた。  こいつの名前は天勝勇人(あまかつゆうと)。はるか昔、魔王を討伐したという勇者の子孫だ。 「……天勝くん、その名前で呼ばないで」 「なんで? いい名前じゃないか。俺は好きだよ」  視線を合わせないように下を向いて、シャーペンを握る手に力を込める。安直な物言いに吐き気がした。    そもそも、勇者と魔王の家系は仲が悪い。特に俺の家〈朔魔家〉とこいつの家〈天勝家〉は唯一直系の血筋を引いている、いわゆる本家だ。ざっくり言ってしまえば、DNAレベルで刻まれた天敵同士。  性格から何から真反対だし、仲良くする必要なんてないはずなのに、中等部の頃から何かとちょっかいをかけてくる。  はっきり言って、俺はこいつが嫌いだった。 「僕はこの名前が嫌いだし、君に好かれたって別に嬉しくない」 「ははっ、手厳しいな」  手厳しいなんて心外だ。猫を被ってなきゃ、とっくに唾を吐きかけて逃げ出してる。  大体この名前のせいで、どれだけの人に笑われてきたと思ってるんだ。今さらお前に褒められたって、一ミリも嬉しくないし、何の慰めにもなりはしない。  ……まあ一番悪いのは、魔王の血筋でありながら子供に"光"なんてふざけた名前をつけたうちの親だ。  貴方の人生に光がありますように。  なんて傍迷惑(はためいわく)な願いを、2Bのシャーペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶす。朔魔光(さくまみつる)の文字が真っ黒になっていく様は、何度見ても気持ちが良かった。 「ねぇ、今日は暇だろう? 俺の家に遊びにおいでよ」 「今日は兄さんに勉強教えてもらう予定だから」 「昨日もそう言ってたじゃないか。勉強なんて俺がいくらでも教えるからさ」 「いらない。明日も明後日も明々後日もずーっと兄さんに教えて貰う予定だから、もう誘わないで」 「なら俺も一緒に――」  断るための嘘だというのは明白なのに、どうしてこうも諦めが悪いのか。勇者じゃなくて、ストーカーの間違いだろ。  まるで糠に釘を刺しているような会話に呆れつつ、ノートと教科書に手を伸ばす。時刻は既に昼時。この男に付き合っていては、お昼を食べ逃してしまうのが目に見えていた。──それに、そろそろ良い時間帯だろう。 「……あの…勇人くん!」  そう思っていた矢先、タイミングよく女子生徒が近づいてきた。その手には、大きめのランチバッグが握られている。  ほーら来た。内心ほくそ笑みながら、素知らぬ顔で横を向く。この件に関して、俺は無関係の人間かつ、邪魔をする気は一切ないというアピールだ。 「この前唐揚げが好きって言ってたでしょ? 今日多めに作りすぎちゃったから、良かったら食べてくれない?」 「ちょっと、抜け駆けしないでよ! 天勝くん、実は私もお弁当作ってきたの。甘い卵焼きは好きだよね?」 「そんな庶民の味付けで、勇人様が満足するはずないじゃない。私のお弁当は最高級の食材を使って──」  始まったのは、女子力アピールという名の血で血を洗う弁当バトル。ちなみにこれは比喩ではなく、本当に血が入っていた(ことがある)ため、皮肉を込めてこう呼んでいる。  誰が始めたのかなんて、もう覚えてはいないけど、この時間が俺にとっての救いだった。  天勝が女子に囲まれている隙に、右手には弁当、左手には水筒を持って走り出す。後ろから呼び止める声が聞こえたけど、もちろん止まるつもりなど毛頭ない。  あばよ色男。お前は血液入りの愛情弁当でも食ってるがいい。俺は逃げる、さよなら!!  僅かな風だけを残し、ほんの一瞬の隙に消えた少年は、もうどこにも見つからなかった。
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