雨音の陰で見守って

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「おかえり、今日も暑かっただろう」 鈴木由紀夫は部活動から帰宅した、一人娘の千佳子に労をねぎらった。 「もうヘトヘト。日焼けあとがヒリヒリする」 中学1年生の千佳子はテニス部員。 夏休みに入ってからは、秋の新人戦へ向け練習に励んでいた。 「あ、出来たの!」 瓶詰めされた梅干しを目にし、思わず千佳子は声を上げた。 「おう、さっき取り込んだ。どうだい」 自慢げに由紀夫が言う。 「食べれる?」 「いやいや、まだ早い。2、3ヶ月はじっくり熟成させばならん」 「え〜」 「待つのも楽しみとは思わんか」 「待てない〜」 「さあ飯だ飯だ」 鈴木家本日の夕食は、ご飯、味噌汁、豚の生姜焼きとポテトサラダ。 そして、昨年他界した由紀夫の妻、和子が残していった自家製梅干しであった。 「ごちそうさまでした。今日も食べすぎちゃった」 「もういいのか?もっと食ってスタミナをつけないと。暑い中激しい運動をしてるんだから」 「明日のエネルギーは、充分チャージしました」 2人だけの、食後のひと時。 「今日も、食べなかった?」 「うん」 小瓶に一杯あった梅干しは、半分くらいに減って以降、そのままの量をキープしていた。 「クエン酸は、夏バテに効果バツグンなんだから。遠慮しないで食べな」 食卓に、それは当たり前のように寄り添うようにあったのに、失われゆく状況となって初めてわかること。 「父さんの梅干しが食べられるようになるまでは、ちょびちょび食べるの」 そう言うと、千佳子は仏壇の方を見つめた。 線香の煙がゆらゆらと立ち上っている。 「秋頃に、試食も兼ねて食べてみよう」 それはただの梅干しだけど。 2人にとっては、亡き妻、亡き母との絆を、ひいては鈴木家の過去と未来をつなぐ、大切な存在であることに気づかされていた。 だからそれを絶やすことなど、出来るはずもなかった。 「…母さん、出来栄えに感心しているんじゃないかな」 「そうかな。なんてたって、わが家の未来がかかっていたからな」 「ふふ、父さんに託して正解でした。おみそれしました」 妻の位牌をジッと見つめる由紀夫は、懐かしむように微笑んだ。 「母さんの味のように、なるだろうか」 「うん、なるよきっと」 仏壇には、由紀夫が初めて作った梅干しが供えられている。 作り手は和子から由紀夫に代わったが、それはまぎれもなく鈴木家の自家製梅干しであった。 「ねえ、父さん」 「うん?」 「来年は、私も一緒に作ろうかな」 一瞬、由紀夫は言葉に詰まった。 「…おう。頼むよ」 線香の煙が、供えられた梅干しの周りを漂う。 やさしく包み込むかのように。 「なんせ次は10キロ仕込む予定だからな、頼んだぞ」 「ええ!言うんじゃなかった〜」
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